Mission Completed





「傷はもういいのかね」
「はい、お陰さまで」

彼女の腕の中で崩れ落ち、あの日、二度目の意識を失ってから数週間が経っていた。
喰らった銃弾は俺の全身から大量の血を奪い、一時は生死の境を彷徨っていたらしい。
らしい、というのはあの後数日の記憶はすっぽりと抜け落ちていて、
快方に向かって漸く自身の経過を説明されて知ったことだから。

だから、意識を取り戻して涙を溢した彼女の姿で俺は自らの命を繋ぎ止めたことを知り、
再び意識を暖かな闇に落とし。
目覚めては心配そうに覗き込む彼女を見ては、また安らかな眠りに落ちる日々を送り。
その間、眼を開けても彼女の姿が傍にないことは一日たりとも無く。
どちらが護衛されているのか分からぬ程、彼女はいつも俺の側に居た。
言うことを聞かぬ身体にリハビリというには厳しい訓練を施し、身体を虐め抜いて現場に復帰したのは、
ひとえに俺を見ては涙に暮れる彼女の顔に微笑を取り戻したかったから。




が、復帰は同時に彼女との別れを意味していた。
まだ、彼女に告げていないとはいえ自分の気持に気付いてしまった今では、彼女の傍にはいられない。

何とか通常の業務には支障が出ないにまで回復した身体ならば、
この先、今までのように仕事を重ねて行けば、自分ひとりの身を養う程度の生活は充分に送れるだろう。
…彼女は住む世界の違う人だったと諦めさえつけば。


そう自らに言い聞かせて、内ポケットに一通の書類を忍ばせ江藤氏の前に立った。
座った位置から俺を見上げる瞳は相変わらず穏和な中にも鋭さを覗かせている。
聞いた所によると高額で法外な治療費も全て江藤コンツェルンが負担してくれたと言う。

「色々と有難うございました。 …これを」
机の上に置いた封筒にちらりと視線を落とし、そして再び俺を見上げる。

「辞める…と?」
「任務に…失敗しましたから……」
言葉には応えずに椅子から立ち上がり、俺に背を向けると窓辺に立ち外を見遣る。
細めた瞳の先にはきっと彼女の姿が見えるのだろう。
彼女についてばかりそんな些細なことにも気付くようになった自分にも嫌気がさす。

「失敗はしとらんよ」
江藤氏が静かに口を開いた。
犯人側は実行犯はその場で全員確保され、残りの一味も犯人の供述で一人残らず逮捕されたと聞いている。
失敗、ではないのかもしれない。
が、彼女を危険な目に遭わせた、それは紛れもない事実であった。

「あの場で、否、娘のボディガードとしては最善の策であり結果だと思うがね。
江藤コンツェルンの総裁の言葉としては失言かもしれんが、
蘭世の父親の立場で言わせてもらえれば、…君は最高のボディガードだ」

江藤氏の言葉に俺はただ頭を下げるだけ。
『彼女を守りたい』、その気持には変わりはないが、自分の気持を誤魔化せなくなった今、
この先また彼女の前に現われるであろう新たな候補者達の前で、
自分を見失わず平常心で任務に就いていることは難しいだろう。


何もかも諦めることが当たり前だった幼少時代、肉親が倒れ断腸の思いで決別したボクシング、
それ以降、何かに執着する気持を持つことは、自分の中ですっぱりと絶ったはずだった。
大事なものを手放す度に襲われるどうしようもない程の寂寥感をこれ以上味わいたくない。
頑なとも思えるほどの閉塞的な態度は一種の自己防衛でもあった。
だから、誰かに特別な感情を抱くことも無いと思っていたし、そんな存在が現れることも無いと思っていた。

そんな俺の前に現れ、何時の間にかするりと内に入り込んで日に日に大きくなっていった彼女の存在。
否、もしかしたらどこかで気付かぬ振りをしていたのかもしれない。
が、真っ直ぐ向けられた気持に目が逸らせなくなり、思わず取ったあの行動。

けれど、この気持は、お互いの未来にとって妨げにしかならないものだということもまた明らかだ。
だからこそ、この任を降りるのは己の我侭だと分かっていつつもこうして辞表を提出したのだ。


頭を下げたまま一言も言葉を返さぬ俺に嘆息を吐き、江藤氏は引き出しを開けると封筒を落とした。

「とりあえず、後任が決まるまではそのまま娘の護衛を続けてくれ」
流石に後任が見つかるまでは恩を返す意味でも、また通常の分別からしても務めるべきだろう。
ゆっくりとお辞儀をし扉に向かった俺の背で、江藤氏は独り言のように言葉を繋いだ。

「最初に言ったかもしれないが、私は会社よりも何よりも家族が大事だ。 …当然、娘の幸せも。
蘭世に見合う男性を、と思い幾人かの候補も宛がってはきたが、娘は自らの力で、その相手も見つけてしまったようだ…」

その言葉に驚いて振り向いた俺に視線を合わせ、小さく笑い問いかける。

「…それとも娘のお守りを一生するのは、…気が進まぬかな?」
「それは…」
「親の口から気持を告げるのは娘も本意ではないだろう。 蘭世自身の口から直接聞いてあげてくれ。
…そして、君の本当の気持を伝えてやって欲しい。 それまでこれは、預かっておこう」

無造作に落とした白い封筒を指し、江藤氏は寂しそうな表情で微笑んでみせた。
それはコンツェルン総裁の顔ではなく、一人の父親の顔だった。



静かに扉を閉め、江藤氏の部屋を辞去する。
屋敷内に与えられた自らの部屋に戻り落ち着こうとしても、江藤氏の言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡る。
…それは、彼女との仲を許すということなのか。
この気持を誤魔化さなくともいいということなのか、
誤魔化さないも何も、まだ彼女自身にさえ告げてはいないのに。


言い聞かせ、無理に押し込めた自分の気持がそのまま錘となって足に括り付けられたように、
江藤氏の部屋に向かう足取りはまるで死刑の宣告を受ける囚人の様だった。
それが、この部屋に戻って来る時の俺の足取りは一体どうだったであろうか。
氏の一言はただ単にその場限りのものかもしれない。
或いはまだ分別の付く俺から娘に言い聞かせてくれという事なのかもしれない、『住む世界が違う』と。
普通に考えれば、それが至極当然の事だろう。
が、暗澹たる闇に射した一筋の光のように、江藤氏の言葉は俺の内を貫いた。
全てを諦め、望まないことに慣れきっていた自分の中で、
まだこれ程に何かに執着する気持が残っていたことにも驚く。



先走る自分の気持と江藤氏の言葉との狭間で答えを出し切れない気持が逡巡し、時は悪戯に過ぎて行く。






いつの間にか陽が翳った部屋のドアをノックする者がいた。
時計を見れば、家族揃って出席するパーティーの護衛をする時間だった。

とにかく、今は仕事だ。
サングラスを掛け一つ息を吐き開いたドアの先には、澤村が恐縮したように立っていた。

「どうかしたのか?」
「お嬢様が部屋からお出にならないのです。 私は他に用を言いつけられておりまして。
申し訳ありませんが呼びに行っていただきたいのです」
「分かった」


あの事件がトラウマになってしまったのか。
まるで春のような、太陽のような彼女の笑顔を失わせてしまったかもしれないことに心痛ませながら、
殆ど近寄ったことの無い彼女の部屋へと向かう。

「お嬢さん」
幾度かノックをし、扉の外から呼び掛けても応答は無く、仕方なく断りを入れノブを回す。
錠は掛けられておらず、扉は音も無くすっと内側へ開いた。

初めて踏み入れた部屋は一目で高価と分かる調度品に囲まれていながらも、
どこか彼女の優しさや温かさを感じさせた。
奥の方から吹き込み部屋の中央辺りで巻いている風を感じ、俺はバルコニーへと歩を進める。
細いシルエットが見えたが、サングラスと室内の灯りが届かぬ為にその輪郭はぼんやりとしていた。

「お嬢さん、時間ですが…」
彼女の姿が見えるところまで来て俺は言葉を飲み込み、そして足も止まった。
バルコニーの手摺に手を掛ける彼女の後姿は、あの日のドレスを纏っていて。
振り返った彼女は俺を見て微笑んだ。

「奇麗にしてもらいました。 …真壁さんの守ってくれたドレスですから」
あの日と寸分違わぬサーモンピンクのドレス、今宵も淡い色合いは優しく彼女の白い肌を包み込み、
金魚の尾ひれのような裾は彼女が身じろぎをするだけでふわりと揺れ、そよぐ風に踊っている。
陶器のように白く滑らかな肌にも同じ一粒ルビーのネックレスが胸の中央で輝いている。
唯一違うのは黒髪の隙間から見える小さな耳には何も付いていないことだった。

「…良く、似合う」
ぼろりと漏れた俺の言葉に彼女は嬉しそうに微笑み、そして握っていたままだった手を俺に向かって差し出して開いた。
小さな掌に乗っていたのは片耳だけのイヤリング。

「あの日、片方は落としてしまったみたいです。 折角真壁さんがドレスを守ってくれたのに。
やっぱりわたしはおっちょこちょいで、真壁さんの言うようにお嬢さんで。
こんな何にも出来ないわたしじゃ、何を言っても真壁さんにはやっぱり…」
小さな掌の中の片方だけのイヤリングを握り締め、胸の前で両手を合わせ俯き震えだす肩の頼りなさは、
あの日、犯行グループに見せた毅然とした態度や勇敢な姿は幻だったかと思う程で。


それでも、そんな彼女の姿を見ても胸に込み上げるのは、ただ愛おしさだけ。
彼女から本気で離れられると、諦められるとどうして思ったのだろう。
今すぐにでも腕の中に仕舞ってしまいたい程、こんなにも彼女を望んでいるのに。

江藤氏の言葉も、彼女があの時顕わにした気持も、今は関係なかった。
…ただ、自分の本当の気持を伝えたいだけ。

何もかもを諦めた男の、生涯唯一の望みを告げることは許されるだろうか。

「江藤」

俺の発した言葉の響きに何かを感じ取ったのか、ゆっくりと顔を上げる彼女。
その目からは今にも溢れんばかりに清らかな滴が縁に溜まっていた。
俺はスーツのポケットからあるものを取り出し、先程の彼女と同じように差し出して開いた。

「これ…」
驚いて俺を見上げた拍子につと零れ落ちた一滴を逆の指でそっと拭って。
彼女同様に温かいその滴は俺の人差し指に吸い込まれた。

「一度戻っただろう。 これを捜しに戻ったんだ」
自分の掌に載っていたそれを真っ白で傷一つ無い柔らかな耳朶にそっと嵌め、
彼女の握られた掌を優しく開いて取り上げた一つを、同様にもう片方の耳へと嵌める。
…あの日と同じ彼女が俺の前で完成した。

そっと掛けていたサングラスを外し、胸のポケットに挿す。
もう、自分の気持を、彼女のこの真っ直ぐな瞳の前で隠したくは無かった。

「あの時の言葉は…」

 
 ― 俺の傍を離れるな ― 
   …その本心は、俺が望むことは


彼女に近付き、細く一見頼りなげに見える小さな身体を腕に包み込む。
その耳元で、彼女にだけ聞こえるか聞こえないくらいの小さな声で囁いた。



「蘭世 これからは、…俺にお前を守らせてくれ、…一人の男として」



弾かれたように見上げる瞳に、出来得る限りの想いを込めて、しっかりと頷く。
堪え切れずに次々と流す彼女の涙は俺のシャツに吸い込まれ、胸元を温める。



その温もりと抱き締めた彼女自身の温もりを感じながら、俺は髪を撫で続けた。


「…はい」




小さく頷いた彼女の動きに合わせ耳元で揺れたイヤリングが、二人を祝福する鐘のように優しい音を立てた。








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背景 Abundant Shine 様







<あとがき>

イベントならではということで今回(も)パラレルを書かせていただきましたが、
前回に負けず劣らず玉砕気味な気も。(色々な意味で)
こういった感じのお話は前々から書いてみたいと思いつつも大変そうだと後手に回しており、
今回ルビーさんの助けを借りて拙いながらも一つの形に出来たことに嬉しく思います。
我侭、無茶振りな自分に(彼女はそんな私を「S」だと言い切りました(笑)、ええ、そうですとも)
付き合って下さり一緒に書き上げてくれたルビーさん、本当に有難うございました。
「ときめき〜」の世界観とは全く違う中で、読んで下さった方が少しでも「俊蘭」を
感じていただけると嬉しいのですが。
長々とお付き合いいただきまして、本当に有難うございました。
                                                  (さとくー)    



今回、リレーどころか創作経験が殆ど無かったルビーにさとくーさんが声を掛けて下さり
厚意に甘えてリレーに参加させて頂きました。

前回のイベントでの、さとくーさんのパラレル作品に惚れ込んでたので是非パラレルを!!と
希望したもののいざ、自分で書いてみて難しさを痛感しました。
キャラの性格をそのまま活かしながら話を進める事の大変さったら!!
でも、色々話合いながら物語を作っていくのは楽しくて、
自分の話の続きがどうなるのか!?っていうドキドキ感も味わえてイイ経験になりました!

さとくーさんに手取り足取りして頂き、なんとか担当部分を書き上げることが出来ました。
さとくーさん、ホントありがとうございました♪
ちょっぴりエ○っ気(笑)のある、さとくーさんに鍛えられてvv少しは成長しましたかね?
これに懲りず、また機会あれば是非ご一緒してくださいね♪

最後まで読んでいただいた皆様、感想聞かせて下さった皆様、ほんとにありがとうございました!!
                                                  (ルビー)









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