Mission Completed





  もう大丈夫・・・か?

  
  奴らがガスを放ってから十数分が経ち、俺はナプキンを口元から離した。
  神経を麻痺させるガスだったのだろうか、手が微かに痺れている。

  思うように動かない手に苛立ちながらテーブルクロスを捲り上げて辺りを確認すると、
  先程まで自分が無関係であることを必死に訴えていた「候補者」を筆頭に、
  豪奢に着飾ったパーティのゲストたちがフロア一面を彩りピクりとも動かない。

  誰一人として微動だにしないバンケットルームで響くのは敵の足音のみ。
  耳を澄ますと、足音は・・・2つ
  見張り役は2人か?

  2つの足音は、広いバンケットルームで不穏な動きを見せる者をすぐさま発見できるようにか、
  倒れた人々の間を縫うように絶えず動き回っている。

  見張り役の動線を確認すると、どうやらバンケットルームだけではなく衝立の先にある
  バックヤードにも入っていてるようだ。

  だだっ広いバンケットルームとバックヤードで、見張り役が2人。
  しかも、バックヤードは俺のいる位置のすぐそば・・・
  運も俺を見放してねえってことだな。

  見張り役に気付かれないよう注意しながら、俺はバックヤードに滑り込んだ。

  奴らはここにも、抜かりなくガスを放ったようで従業員たちも倒れている。
  卓上には、これから供されるはずだったであろうメインディッシュが冷えきった状態で放置されていた。

  足音が一つ、こちらに近づいてくる。
  俺は衝立に身を隠して敵が入ってくるのを待った。
  まさか動ける人間がいるとは思ってなかったようで、無防備な状態で入ってくる。
  入ってきた瞬間、頸部目掛けて手刀を振り落とすと、「ぐっ」と詰まるような声を上げて倒れていった。
  音を立てないように倒れる寸前に受け止める。
  早くしないと、もう一人の奴に気付かれちまう。敵の懐から使えそうな武器を手早く探すと、
  スタンガンが出てきた。

  「まったく、物騒なモン持ってやがるぜ。」

  俺はひとりごちながら、バンケットルームに出て見張り役の足音に合わせて動き、
  背後からスタンガンを押し当てると声も出さずに倒れていった。


  一先ず、ここにいる敵は倒したがまだまだ仲間がいるはずだ。
  今度は入念に所持品を探る。

  銃・・・サバイバルナイフ・・・通信用の無線・・・そしてこれは?
  手のひらサイズのそれは、画面内に赤く光る点が表示されている。
  どうやらこれは、仲間の居場所を示すモノのようだ。
  赤の点滅は5つ、そのうち2つは位置的に俺達が使用したエレベーターの前にあった。

  他の避難ルートを把握しておかないと・・・
  頭の中で前日に頭の中に叩き込んだフロアの見取り図を思い浮べる
  ・・・従業員用エレベーターは確かバックヤードの奥にあるはず・・・
  
  再びバックヤードに入り奥に進んでいくといかにも従業員用らしい粗末なエレベーターがあった
  ・・・が案の定稼動しておらず、すぐそばにある非常階段も閉鎖されていた。


  胸の中には、事実上初となる任務失敗からくる苛立ちと、
  傍にあることが至極当然になっていた彼女の存在がない不安感。


  戸惑いを隠せない初めて対面した姿

  慌ててハンカチを差し出す雨の中の姿

  震えながらも自ら名乗り出た凛とした姿

  今まで見てきた彼女の姿を思い浮べるたび、口に広がる錆びたような味は濃さを増していく。


  必ず助け出してみせる


  バンケットルームに戻り、辺りを見回すが誰一人として目を覚ます気配がない。

  誰かを無理やりにでも起こして、助けを呼ぶよう指示する・・・
  或いは、俺が先に助けを呼び、この場にいる奴らを安全圏に移してから彼女の救助に向かう・・・

  一人でも多くの人間の命を守るなら、これらが最善策だろう。
  しかしそれでは、敵の手中にある彼女の身を危険に晒すリスクがぐんと高まる。


  俺は江藤蘭世のボディガードだ

  
  深呼吸を一度して、敵から奪った武器を片手に赤の点滅を確認する。
  扉一枚挟んだ内側で起こっている事を知らないエレベーター前の見張り役は一向に動く気配がない。

  「油断してるんじゃねえよ。なめやがって・・・」 

  敵に気付かれないようにゆっくりと扉を開くと、今までいた内側と大差ない景色が広がっていた。
  最上階へと案内する道程で支配人が自慢げに話していた警備員達が、所狭しと転がっている。
  歩きながら警備員達の傷跡を確認すると一人ひとりの傷跡は殆どが一箇所のみで、
  その位置は見事に急所を捉えていた。

  ・・・最初に直感で感じたことは、間違ってなかったようだ。
  確実にプロの仕業。統制された動きや、素手でも簡単に人を殺せそうな倒しかたは・・・軍隊か?

  仮にそうならば、下手な動きをすると彼女が危険だ。

  「・・・ひでぇことしやがる。」

  倒れこんでる警備員達の合間を縫いエレベーターへ向かう。
  今まで、仕事のときは必ず身に付け自分の一部のようになっていたサングラスが邪魔に感じて
  俺はそれを投げ捨てた。


  エレベーターの前にいた奴らを倒して赤く点在する敵を確認すると残ってる点滅は、あと3つ。
  赤の点在を辿って着いた先は小さな部屋の前だった。

  フロアの見取り図からすると、そこはワインセラーのはずだ。
  丁度あちらから死角の位置に身を潜めて確認するとワインセラーの扉の前に見張り役が2人。

  扉が薄い分、下手に武器を使って音を立てると中で彼女を拘束している奴を刺激しかねない。


  ・・・チャリン・・・


  俺はポケットからコインを一枚取り出して床に落とした。
  微かな音だが、それに気付いた一人がゆっくりとこちらに近づいてくる。

  ギリギリまで息を潜め、目と鼻の先まで来た見張り役の腕を掴みふらついた所で、
  鳩尾に一発くれてやると声もなく倒れていった。

  異変に気付いた残る一人がサバイバルナイフ片手にこちらに向かってくる。

  右・・・左・・・

  遅えんだよ・・・
  突き出されるナイフは、スローモーションのように遅く簡単に相手の懐に入り込み
  顎を殴り上げると、こっちに凭れ掛かるように倒れてきた。俺はそいつをゆっくりと床に降ろす。


  拳が熱を持ったようにジンジンしている。久し振りに使ったからか?
  ・・・完全に決別したはずのボクシングが、こんな時に役立つなんてな・・・
  思わず自嘲じみた笑いがこぼれる。

  今までわざと考えないようにして蓋をしてきた過去が、この窮地にフラッシュバックのように
  襲い掛かってきた。



  俗に言う母子家庭で育った俺は物心つく前から自然に色々なことを諦めてきた。
  諦めることが当たり前だった俺が唯一つ、どうしても諦めることが出来なかったのがボクシングだった。
  無我夢中ってのを体現するようにトレーニングに明け暮れる毎日。
  幸いなことにトレーナーや才能に恵まれて、周りも俺自身でさえもプロになることを信じて疑わなかった。  
  そんな矢先に今まで俺を育て、支えてくれたオフクロが倒れ生活が一変する。
  不治の病を宣告され必要になった膨大な手術費、入院費・・・
  世界チャンプにでもならないと食っていけないボクシングなんて、している余裕は当然なくなる。
  金の工面に苦労していた俺にジムの会長が紹介してくれたのが今の職業
  ・・・ボディガード・・・だった。
  危険だが、かなり稼ぐことが出来ると知った俺はボクシングと決別した。



  この職に就いて、待っていたのは今まで想像すらしなかった世界

  俺の雇い主の多くは金の有無でのみ人間の価値を判断する者、あるいは暇と金を持て余し紙切れ同然に
  金を垂れ流す者・・・仕事上、身辺警護はするが雇い主に感じるのは嫌悪感のみだった・・・

  彼女も今までの雇い主と同じ・・・いや、裕福さでいうと今まで以上


  なのに、この胃が痛むような焦燥感はなんなんだ・・・?

  自分でも説明することの出来ない気持ちにイラつく。

  ・・・いや、今はそんなこと考えてる暇はねえ。
  これが何にしろ、こんな思いは一度きりで十分だ。

  次は絶対守り抜いてみせる・・・


  「・・・ううっ・・・」

  その時、完全に意識を失っていると思っていた足元の見張り役が突然見張り役が呻き声を上げた。
  静まりかえったフロアに、その声は響き渡る。

  何やってんだよ、俺は!
  一瞬でも集中力を切らした自分を呪った

  「おい、そこにいる者。ゆっくり扉を開け。3つ数えるうちだ。3・・・2・・・」

  扉の内側からくぐもった男の声が話しかけてくる。
  抵抗して彼女に何かあってはいけない。俺は扉を開き、壁際に隠れた。



  パァーン

  
  「キャア!!」

  何かが破裂したような乾いた音と、彼女の悲鳴

  一瞬、起こった出来事を把握することが出来なかった。
  
  今まで目の前で呻き声を上げていた奴が眉間から血を流して白目を剥いている。

  「煩い。与えられた仕事を全う出来ない者に用はない。」

  扉の中にいる奴が、何の躊躇いもなく仲間を撃ち殺しやがった。
  狂ってやがる!

  「持ってる武器を全て捨てて、両手を頭の後ろに組んで入って来い。3・・・2・・・」

  俺は舌打ちしながら武器を扉の前に捨てて、ゆっくりと部屋の中に入った。

  部屋の中には、主犯格であろう体格のいい男とそいつに腕を掴まれて辛うじて立っている状態の
  後ろ手に拘束されている彼女の姿があった。

  元々白い頬は血の気がなく蒼白で憔悴した大きな瞳からは、
  俺の姿をみつけた瞬間涙が溢れ始めたが一見したところ怪我は無さそうだ。

  良かった。

  俺の中に広がるのは安堵感

  「随分、手の込んだことをするじゃねえか。要求は何だ?
   仲間は全員のびてるぜ。仲介が必要なんじゃねえのか?」

  暫くの間、男は黙っていたが仲介役のことを考えたようでゆっくりと話し始めた。
  機械を通した声は相変わらず機械的で人間味がない。

  「江藤コンツェルン傘下の製薬会社研究所が保管しているB150型ウィルスを要求する。」

  「B150型ウィルス・・・?」 

  「・・・別名キラーウィルスだ。
  液状化すると1滴で1万人の命を奪うことの出来る素晴らしいウィルスだよ。」

  「なんで、そんなもん必要なんだよ。」

  すると、今まで機械的だった声が笑いを含んだ.愉しくて仕方ないと言うように。

  「この国は一度制裁を加える必要がある。
   数年前に日本に戻ってきてトップにいる連中の愚かさに閉口したよ。
   目に余る阿呆ばかりだ。
   現に、このパーティーに居合わせた者達の愚かさをお前も見ただろう?」

  話し終えてもクツクツと笑い続けている。

  「・・・狂ってやがる・・・」

  俺がそう呟いたとたんに、笑い声はピタリと止んだ。

  「私としたことが、興奮して話し過ぎたようだ。
   お前は色々と邪魔になりそうだな。死んでもらうことにする。」

  そう言いながらカチャリとトリガーを外す音がして、銃口が俺に向けられた。

  「その場から動くな。僅かでも動くと娘の足を撃ちぬく。」 

  ヤバい状況には変わりないが、万が一俺を殺したとしても大事な人質を殺してしまうほど
  愚かではないはずだ。
  ・・・でも、俺が死んだら誰が彼女を守るんだ?
  何か最善の策は・・・


  八方塞がりの状態で、ついさっき聞いたばかりの乾いた音が響いたとき、俺は反射的に目を瞑った。

  きな臭いにおいが辺りに漂う

  
  目を開いた瞬間、視界に入ってきたのは華奢な身体で男に体当たりしている彼女の姿。
  あんな細い身体には不釣合いなほどの力があったようで、ガタイのいい男がふらつく
  しかし、男はすぐにバランスを整えて、「小娘が・・・」と呟きながら彼女の頬を叩いた。


  今だ!


  男が彼女に気を取られた絶好のチャンスに俺は二人のもとに走り寄る。

  視界の端に、コマ送りのようにゆっくりと倒れていく彼女の姿が飛び込んできた時、
  未だかつて感じたことのない怒りの感情が俺を支配した。

  渾身の力を込めて犯人の手を蹴り上げると、銃が手から離れ床に転げ落ちる。
  蹴り上げた足をそのまま踵落しの要領で男の後頭部に振り落とすと、
  運良く急所を捉えたようで男は無言で床に突っ伏した。


   
  一瞬のうちにケリがつき、フロアに静寂が戻る

  呆けたように床に座り込んでる彼女の手から拘束している縄を解き取り、
  男の両手を柱にくぐりつける。
  これで気付いても暫くは動けねえだろ。

   
  ひと段落ついて再び彼女に視線を移すと、細い手首には拘束されていたために痛々しいまでに
  痕が残り、男に叩かれた頬はうっすらと赤みを帯びていた。
  それ以外は怪我はなさそうだが、その姿を見ている俺の胸が痛む。

  ゆっくりと彼女に歩み寄った俺は無意識のうちに彼女を抱き締めていた。

  「俺の傍を離れるな。」

  もう、彼女のこんな姿は見たくない。
  自然に言葉が口から零れ落ちる。


  「・・・まかべ、さん・・・?」

  彼女の声で正気に戻った俺は、慌てて身体を離した。

  ・・・何をやってるんだ。これは仕事で、彼女は雇い主だぞ。

  心の中で叱責するように自分自身に言い聞かせる。

    
  「ここにいては危険です。取り敢えず、この場から離れましょう。」

  彼女の目を見ることの出来ない俺は、そのまま歩き出した。

  しかし、ついてくるはずの足音が聞こえない。
  後ろを振り返ると、小刻みに身体を震わせている彼女がいた。

  「ご、ごめんなさい。足が言うことを聞かなくて・・・」
  
  そう言いながら無理やり笑おうとしている。

  恐怖を感じるのは当たり前だ。
  こんな経験、俺でもしたことがない。

  俺は彼女のところまで戻り、手を取って再び歩き出した。
  一瞬、驚いたような顔を見せた彼女だが何も言わず素直についてくる。

  俺の掌の中で、恐怖の名残からか尚も震える彼女の冷たく小さな手を強く握りなおすと
  不思議なことに震えが止まった。

    

  ・・・この時彼女の手を強く握ったのは、もう大丈夫だと伝えるためなのか、
  ただ俺自身が再び傍に戻ってきた彼女の存在を確かめたかっただけなのか・・・
    
  ・・・震えていたのは俺の手なのか・・・

  
  いまでも分からない







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  背景 Abundant Shine 様








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