Mission Completed






創立記念パーティーが行われるのは、このホテルの別棟にあるバンケットルームだ。
このご時勢に、それだけの費用を捻出出来る、以前に相場からすると決して安い報酬ではない俺を
長期に亘り雇っている時点で、江藤コンツェルンの力をまざまざと見せ付けられているかのようだ。


娘のボディーガードとなる俺と対面した時に見せた江藤氏の表情は、
表の世界で君臨し続ける「王者」そのもので、一見穏和に見えるその目には
時折人を圧倒するような、えも言われぬ鋭さを発していた。
だからこそ、娘について語る穏やかな表情には、江藤氏の家族に向ける愛情が充分に籠められており、
“娘を頼む”という静かな言葉と共に、俺の課せられた任務の重さを改めて自覚したのだった。


そんな親の気持ちを知らずか、常に身の回りを守られている立場の当の彼女は、
まるで羽をもがれ、狭い鳥篭に閉じ込められた小鳥のようで窮屈だと不満を訴えているらしい。




バンケットルームへと続く、直通のエレベータへ向かうこの廊下も通常のエントランスとは隔てられ、
選ばれた一握りの者しか歩くことが出来ない道だ。
彼女の様にここを歩きたいと願う者の多くは、大抵その入り口にも足を踏み入れることなく終わる。


敷かれたレールを進むのが嫌だと、恵まれた環境から飛び出して外の世界を体験したいと望む彼女を、
傍から見てやっかむ者や妬む者がいるのも仕方のないことだろう。
無論、それらは単なる逆恨みでしかない。
それらを排除し、彼女の安全を ― それが本当に彼女の望むものなのか、
その真偽は彼女にしか分からないであろうが ― 守るのが、…俺の課せられた仕事。


先に立ち案内する支配人に続きエレベータへと向かう彼女の少し後ろから、辺りに注意を払いながら歩く。
豪奢に活けられた生花、壁に掛けられた高価そうな絵画、磨きこまれた大理石の床。
ひっそりと静まり返った中に、ふと違和感を感じて俺は足を止めた。
見た目にはこれといった変化はない、ただ、これまでの経験からくる目に見えない何か…を感じ、
もう一度注意深くぐるりと周囲に視線を巡らせる。
しかし、ロビーには如何にもベテランと思しきホテルマンの姿しか見当たらない。
エントランスには警備の者も居るし、入館には当然厳しいチェックがあるはずだ。

「どうかされました?」
足を止めた俺に、エレベーターの扉を押さえながら支配人が尋ねる。

「……いや、何でも」
不思議そうに見つめる四つの瞳に、俺は止めた足を再び動かし始める。

「本日お使いのフロアは、このキーを射し込まなければエレベーターも停止しません。
入り口には警備の者もおりますし、我がホテルは…」
「……判った、もういい」
セールストークを交えながら話を始めた支配人の言葉を遮り、俺はエレベーターの隅へと控える。
四方と上部に視線を遣り異常のないことを確認すると、ガラス張りで開けてゆく視界に目を奪われ
外を眺めようとガラスに額を付けんばかりに乗り出す彼女に注意を促す。

「なるべく真ん中にいてください。
外から狙われたら守れませんし、扉の近くは開いたときに何が侵入してくるか判らないので危険です」
行動に一々口を挿む俺はさぞかし煩いだろう、彼女は一度俺を正面からじっと見つめると小さな溜息を吐き、
それでも俺の言ったとおりに箱の真ん中で立ち止まると、増えてゆく数字を無言で睨みつけた。



あの時に感じた不審感をもっと突き詰めていれば、…なのに、俺はそれをしなかった。
思えば、入口前での彼女とのやり取りに、笑顔に、
自分でも気付かぬうちに調子を崩されていたのかもしれない。
それを彼女のせいにするはずもない、…全ては己の未熟さのせい。
後になって、それをどうこうと問い直してみても始まらないのだけれど。





このパーティーの為に貸し切られたフロアに集ったのは、どれもこれも彼女と同じ人種達。
自らの手で、或いは才の有った代々の先人達によって莫大な財を為し、
裕福で安穏な日常を送り続けるであろう人々。
歩く度に触れ合いしゃなりと音を立てるくらいに豪華なアクセサリーを付けて、
ゼロが幾つ並ぶか判らぬ生で身を纏った者達が優雅に酒を酌み交わす。
その目に付かぬところで、彼らを危険から護る為にどれだけの者が緊張感に身をすり減らし、
身を危険に晒しているかも、きっと最後まで知ることもないだろう。


呆れたことに、唯一この場に同席を許されたボディーガードは、たった俺一人だ。
事前に警備体制を確認した俺はその杜撰さと脳天気さに呆れ返り、内部の警備人員の増強を求めた。
が、ハイテクな警備対策を謳ったホテル側の説明を受け、人員は最小限に留められた。
何より「場の雰囲気を壊すから」という馬鹿げた理由を主張し、
護衛の、部屋への入室に顔を顰める声には辟易、するよりもむしろ呆れたのは数日前のことだった。
同様の理由で入室の際に携帯ですら外に居る者へと預けるように指図され、
代わりに室外との連絡用にと渡されたのは、小型の形ばかりの連絡用無線だった。
内ポケットにすっぽり収まるそれから伸びるイヤフォンを片耳に嵌め、
お前だけでも入れてやったんだと言わんばかりの視線を受けながら、
優雅なBGMが流れる中、気取った声や作ったような笑い声を響かせる彼らを前に、
俺はサングラスの下で無表情を保ち続けた。




彼女にしてみれば父親の名代を務め、親と同じかそれ以上の歳を重ねた人々からも頭を下げられ、
祝いの言葉をひっきりなしに受けた時は長く感じられたであろう。
そして父親の眼鏡に適った、選ばれた「候補者達」と思しき青年達とも言葉を交わして。
「選ばれた」だけあってどの面々も育ちの良さや、或いは自分に備わっている才覚を自覚し、
誇示するように彼女の周りを取り囲み、自らを売り込んでいる様は成る程と思わせる一面もある。
それが当の彼女には全く効果的に伝わっていないことも、また一目瞭然ではあったけれど。
終始そんなやり取りを交わし続け、流石にくたびれた表情を見せた。


そして、彼女の護衛の任についてからと同じように、今日もこのまま何事もなく終わりそうか、
…そう思った矢先の事だった。
耳に挿したイヤホンからガリガリッとつんざくような音が中枢を刺激し、
後には砂嵐のような音だけが絶え間なく右の耳を撫でた。
耳元の音に気を取られ、飲み物を取りに行こうとしたのか人混みに紛れてゆく後姿から目を離した、
ほんの数秒のことだった。



ぴたりと閉じられ外界とを隔てていた重厚な扉が、その重さを感じさせないほど素早く左右に開き、
白い煙が床を這うように侵入し、同時に潜められながらも重々しく床を響かせる足音が
部屋に入り込む音が数秒続いたかと思うと、再び堅く閉ざされた。

「お嬢さん!」

大きな声を出してみても、突然の出来事にパニックに陥った人々はグラスを倒し、
ガラスや食器が立てる耳障りな高い音に掻き消されて届くはずもない。
グラスを投げ出し、或いは床に届いたテーブルクロスに足を取られバランスを崩す者、
絹を引き裂くような悲鳴を上げる者、辺りは一瞬にして阿鼻叫喚の様相を呈した。
闇雲に出口を求め走り始めた人々に舌打ちし、人波を掻き分けながら、
俺はサーモンピンクのドレスを纏った人物を捜そうと必死に目を凝らした。


細く華奢な身体を覆う柔らかな素材がふんだんに使われたドレス。
優美な金魚の尾ひれのように、或いは蝶の羽のように彼女の動きに合わせて揺れ踊るシフォンのドレープ。
長い黒髪と白い肌を引き立てる控えめで優しい色合いのドレスと同系色のアクセサリ。
対照的にくっきりと輝く一粒ルビーのネックレスはほっそりと鎖骨の浮き出た胸元で鮮やかな光を放ち、
同じく同系色のガーネットと小さなルビーのイヤリングが耳元で揺れていた。

「お父さまの代わりは気が重いんです。
…だけど、このドレスを着れるのだけはちょっと嬉しいんです」
車の中で、まるで秘密を打ち明けるかのようにこっそりと囁いたその姿は、
確かに彼女に良く似合っていた。



腹に響くような重く鈍い音が一箇所で上がったのが合図であったかのように、
次いで細かく乾いた音が連続的に鳴り響き、テーブルの上にあった銀製のカラトリーやグラス、
食器が次々と砕け飛び散る音が部屋の中に響き、その場に居た人々は息をのみ、
場は一瞬にして静まり返った。

乱雑ながらも統制の取れた足音の下でバラバラに砕け散ったガラスが悲鳴を上げる。
隊列のように響いたそれは、あっという間にその場にいた者達を包囲するように陣を構えた。

「無駄な抵抗はするな。 何もしなければ命までは取るまい」
中央に進み出た敵のリーダーと思しき人物の声は、厳ついマスク越しで只でさえ聞き取りにくい上に、
身元を隠すために変声する何らかの装置が組み込まれているのだろう。
酷くくぐもりながらも冷酷さしか感じさせない声が、隙間から絞り出されるように漏れる。
それでも、重たい沈黙に包まれた部屋の隅々にまでその声は通った。



俺は咄嗟に手近なテーブルの影に身を隠し、相手の正体を掴もうと窺った。
この部屋に入る前のボディチェックのせいで、俺自身武器になりそうなものは何一つ身に付けていない。
まず、正確な人数を把握することから…今までの経験に従い、そろりと頭を動かした時だった。

「何よ、わたしは呼ばれて来ただけよ!」
場の雰囲気を読み切れていない、ヒステリックな女性の声が上がる。

「バカ、刺激するな…」
思わず呟いた言葉も消えないうちに別方向からも声が上がる。

「そうだ、僕は何の関係もないんだ!」
そう声を上げているのは、…確か彼女の「候補者」の一人だ。
降り掛かった厄災から自分だけは逃れたい…人間として当然の心理だが、
こうして武装している相手に、しかも制圧するまでの動きから判断すれば
相当鍛錬されたプロフェッショナル集団と思われる相手に、何を言ったところで通じる筈がない。
なのに目の前の恐怖に捕らわれた者達は口々に己とこのパーティーの主催者、
即ち江藤コンツェルンとの無関係を主張する。



耳をつんざくような音が部屋を走り、分厚い陶器の塊が砕け崩れる音に続き、液体が零れ落ちる音、
出来た水溜りに物体がぐしゃりと落ちる鈍い音が次いで後を追う。
中央に据えられていた足の長い大きな花瓶と、そこに活けられていた生花は見るも無残な姿を晒していた。

「愚かな。 重ねて言う、無駄な抵抗はするな。 …それから、主催者よ、出て来い」

再び静まり返った部屋の中を、人々は今度はあちらこちらに視線を彷徨わせる。
…まるで、罪人を追い立てるかの様に。
何とか反撃出来る隙は無いかと陰を縫いながら男への距離をつめていた俺の反対側の視界がふっと開け、
その先に捜し求めていた彼女が、引いた人波の間を歩を進めてくる。


(バカッ! 出て来るな…)




良い意味でも悪い意味でも、そして本人が自覚していなくとも彼女はお嬢様だ。
それは初めて出会った時から俺が変わらずに抱く彼女の印象。


たかが使用人、(本来の使用人とボディガードとは意味が違うのだが)
そう思う内面が態度に現れる者も数多く目にしてきた。
纏う黒のスーツが視界に入ることすら気に喰わないのか、あからさまに舌打ちする者、
護衛と言っておきながら遠ざけようとする者、そのせいで窮地に陥れば口さがなく罵る者など様々だ。
使われる者としてその身を周囲の景色に溶け込ませてしまう術を覚えた俺は、
だから彼女にとっても名も無き者であればいい、そう思い仕事用の無難な挨拶で済ますはずだった。
特に妙齢の彼女にとって、俺の存在は煩わしいもの以外の何物でもないはずだから。


「わたしは初対面の方には、きちんとご挨拶したいんです。 サングラスを外していただけますか?」

「マカベさんって漢字どう書くんですか?」

初対面で彼女の口から零れた言葉は人を区別することの無い、善人そのものの言葉。
ただ、それすらもその時の俺には、彼女の育ちの良さを表す材料の一つにしか見えなくて。
些か調子が狂ったものの、お嬢さんの気まぐれかと思い、
仕える者に対して些かぶっきら棒な口調で答えただけだった。

警護を始めてからも、表向きは何も起こることが無く平和に時が過ぎた。
勿論、自分に始終監視の目が付いていて、同い年の普通の者達と比べれば息苦しさを感じることは
免れないであろうが、それでも彼女は何処にでも付いて回る俺に、さほど嫌悪感を抱いている様子は見えなかった。
俺の存在を時折確認し、ふっと安心したような表情を浮かべたり、
時には人を従えることに罪悪感を感じているような、済まなそうな表情を浮かべる。
俺という存在を認め、気を配る彼女に救われていたのは、むしろ自分の方だったのかもしれない。


先程の、入口での会話も同様だ。
降る雨に手を塞ぐからと傘を挿していなかった俺の頭上…でなく目の前に差し出された傘。
当然、身長差から俺が彼女の差出す傘の下に入る訳も無く、お陰で余計に湿りを帯びたスーツと髪。
だが、それは空から落ちる雨粒とは違い、冷たさを少しも俺に感じさせなかった。



濡れて変わってゆくスーツの色を見て慌てる仕草はどこか小動物を思わせて。
小さなバックをがさごそと掻き回し、俺に差し出したハンカチはレースで縁取られ、
奇麗にアイロンが掛けられており、まるで彼女そのもので。

純粋培養で育てられ、(だからこそ、なのかは分からないが)相手が誰であっても
そんな風に厭うことなく自分のものを差出す優しさや、
誰に対しても隔ての無い性格が凝縮され表していたそれを、
普段なら素気無く断り、注意の一つでも促すであろう自分が思わず受け取っていた。

俺が怒っているのではないかと恐る恐る窺う子犬のような瞳に、知らず口元は緩み。
かと思えば、苦笑を零した俺を見ては「かわいい」などと気を乱すような言葉を
無意識に口にするアンバランスさも併せ持っており。

“彼女の持つ資質を含め、…全てを守ってやりたい”

自然に湧き上がった感情は、同時に酷く俺を狼狽させた。


俺をそんな風に評したのは今までに彼女だけ、だったし、
俺がそんな風に評するのも今までに彼女だけ、だったから。
…その時、俺の中で何かが変わったのかもしれない。






「わたしよ」
小さいけれどハッキリとした声に、俺ははっと我に返った。




今も、その胸は不安と恐怖で張り裂けそうであろうに、それでも数多の無言の鋭い視線を受け、
臆することなく名乗りを上げた。


「わたし…です」
「お前が? …江藤コンツェルンのものか?」
「父の代わりに出席しました。 …ですからわたしが、この場の責任者です」
微かに震える語尾は隠しようもないものの、それでもしっかりと敵の顔を見据える。
眩しささえ感じるその潔さと凛とした態度は、この場にいる誰よりもトップに相応しい。
こんな状況なのに、俺は思わず感嘆した。

「むすめ…か。 …まあよかろう」

くぐもった声が彼女に近付く。
怯えるように後ずさった彼女を嘲笑うかのように、大きな歩幅であっという間に距離をつめていく。
「命は取らぬ」と言ったところでその場を静める為の、口先だけのことかもしれない。
気持の表れぬ擬声だけでは真偽の程は分からない。


何とか彼女らとの間合いを詰めたくとも、他には誰一人として動かぬこの状況で、
また、人々をぐるりと取り囲んだ敵達の前で迂闊に行動を起こせない。
何かしらの動きを見せれば、彼女に一番に危険が及ぶだろう。

「来い」
「いやぁっ、 …真壁さん!」

手首を掴まれ、黒尽くめの人物に半ば引き摺られるように彼女はこの部屋から連れ出されていった。
抵抗を試みながら必死に名を呼ぶ彼女の声は、潜め続ける俺の鼓膜を打ち、
その頼りなく縋る声に身体中の血が一気に逆流し、飛び出さんばかりの衝動が足の裏から背へと駆け上がる。
が、このまま彼女を助ける為に相手の正面に飛び出すには余りにも不利だ。

(必ず、…助けるから)

反旗を窺うためと言い聞かせ、きつく噛み締めた口の中で錆びた鉄のような味がじわりと広がった。





細く尾を引くような声が扉の向こうに消え、辺りにはほっとしたような雰囲気が漂い始めたその刹那、
嘲笑うかのような耳障りな奇声が上がり、敵はそれぞれ肩に掛けていた機械を人々に向けて構えた。
それが何かを悟った俺は瞬時にテーブルの陰から身を起こし、
手近にあったナプキンに残っていたグラスの中身をあけて濡らすと大きく息を吸い、口に咥えた。





一時後、部屋はそこに人々が居るのが嘘のように静まり返り、誰も動かなくなった。








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背景 Abundant Shine 様








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