You're my only waitress





とある長閑な秋の昼下がり、校庭の片隅で起こった叫び声。

「お願い蘭世〜、蘭世だけが頼りなの〜!」
「え〜、無理よ。 わたし、おっちょこちょいだしウェイトレスなんて無理だって!」
「お願い、ちょっとの間でいいの。 あのバイト競争率高くてさ、やっと勝ち取ったんだけど、
どうしても前のバイト先が抜けられなくて、助けると思ってお願いっ!」
必死に手を合わせ、目の前で深々と頭まで下げられては断れるはずもなくて。

やったことの無いバイトに少しだけ心を動かされたのも事実。
唯一この話を伝えて反応が気になる真壁くんは…今日は自主的休校。
昨日ジムで行われたトーナメントでは激しい連打の応酬だったらしく、
朝方に寄ってみたアパートでは、顔に大きな痣を作って気だるそうに布団に突っ伏していた。

「うん分かった。 …でも出来は期待しないでね」
「ありがとう〜っ! 蘭世なら絶対大丈夫!」

何が“絶対大丈夫”なのか、ふっと疑問も浮かんだけれど、
多分彼女はわたしでも充分に務まると認めてくれた、そう解釈したわたしは尋ねることもせず、
にへらっと笑ってみせただけだった。
ウェイトレスか〜、そういや真壁くんもこの間までやってたんだよね、接客業。
ふと格好良かったギャルソン姿を思い出してしまい、知らずしらず頬の筋肉が緩んでしまった。
あの!?真壁くんだって出来たんだもん、わたしにだって出来るわよね?
もし上手くいったら、人一倍頑張り屋な彼に、わたしも一歩近付ける気がした。
それに、見直したぜ、とか言って褒めてくれるかも。
なんて淡い期待を抱いたわたしは、真壁くんの知らないうちにこのバイトに就くことを承諾したのだった。




「はい」
「え〜…」
手渡された制服を見て無言になった様子に何?と言いたげな顔のお店の人に、慌てて笑顔を取り繕う。
「それに着替えたら店に来てちょうだい」
「あ、…はい」

人気の無い更衣室で目の前に掲げて穴の開くほど見つめてみたけれど、
いつもまでもそうしていた所で手の中の“モノ”が変わる筈もない。
“こんなの聞いて無かったよ〜”、頼み込まれた彼女に向かって小さく呟きながらも、
仕方なくわたしはのそのそと着替えを始めた。


白いブラウスの半袖はパフスリーブで肘から少し上の辺りできゅっと締まってる。
スタンドカラーの先端と布包みボタンの両サイドには可愛らしい、細かいレースが施されていて、
…うん、これは問題なく、可愛い。
足元はストッキングに白のローファー、…これもまぁ、ありよね。
問題は前に同色のエプロンがあしらわれ、大きなリボンが後ろに付いた、
どんなに裾を引っ張ってみても腿の半分くらいまでしか隠れない、ミニスカート。
鮮やかなピンクは自分では余り手にすることの無い色なので可愛いとは思うけれど、
ちょっと…かなり恥ずかしい。
おまけにっ!
後ろファスナーを上げたウエストはキュッと絞られて身体のラインがはっきりと分かるし、
吊りスカートのショルダー部分を肩に掛けると、縦に幅広なウエストの部分が丁度胸の下まで覆い、
…結果、胸を強調しているような姿になった。
長い髪はエプロンと同色のリボンでポニーテールに。
ネームプレートはブラウスの第2ボタンの延長線上の、エプロンの肩紐に付けて…と。

取りあえず、指示された通りに着てみたものの、
鏡に映る姿は自分ではないような気がして思わず顔を赤くする。

う〜ん、これは、…かなり…恥ずかしい…かも。
ぺったんこな自分の胸でも少しはあるように見えるから不思議だわ。
…ぺったんこって認めてる辺りがちょと情けないけれど、本当だもんね。

あの時、彼女が「真壁君には内緒ね」ってわたしに念を押したのは、
この制服のことがあったからなのかなぁ? 
微妙な表情の裏に隠した彼女の意図を、わたしは少し分かったような気がした。


真壁くんにこのバイトのこと言わなかったの、正解だったかも。
真壁くんには黙って…そう思ったのは自分、けど、その意図するところは
制服姿を内緒にしたいんじゃなくて、自分一人でも人並みに何か出来ると彼に認めて欲しかったから。


が、バイトと言っても、ピンチヒッターと言っても仕事は仕事。
そうよっ、外見を気にしてちゃいけないわ。
あの真壁くんだってギャルソン姿で頑張ってたんだから…。(←意外としつこい、蘭世ちゃん)

「頑張れ蘭世!、負けるな蘭世!」
無意味に真壁くんに対抗意識を燃やしながらぐっと拳を握ると、わたしは店の中へと歩いていった。




店内は、…一言で形容するならば“女の子の楽園”。
美味しそうなパイやお洒落なカップに注がれるコーヒーの、甘い匂いと芳しい匂いが立ち込める中、
わたしと同じ制服を着た女の子達が歩き回る。
赤と白のチェックのテーブルクロス、古き良きアメリカを思わせるキュートでお洒落な内装は、
制服「だけ」に拘っているのではないお店の心意気が窺える。
落ち着き無くキョロキョロ見回したわたしをじろりと睨む視線とバッチリ合ってしまい、慌てて背筋を伸ばす。
オーダーの取り方、商品やレジの取扱い方法、そしてお客様への応対の作法。
一通り説明を受けたら、今度は実物を手にしての実践練習。
大きなケーキと不安定なマグカップをトレイに載せ、安定させたまま歩くのは、
思ったよりも至難の技だった。
…う〜ん、真壁くんのあの大きな手が羨ましい。


ふとする度に思考を飛ばすわたしは、中々厄介な新人だと思われたらしい。
半ば呆れながらも根気よく教えてくれるバイトの先輩達にひたすら頭を下げ、
わたしの記念すべきバイト一日目は終わったのだった。



一日中立ちっぱなしだったためにふくらはぎはパンパンに腫れ、
たいして重さは無いはずのお皿も回を重ねれば、普段鍛えていない軟な腕には重くのしかかる。
ベットの上で足と手にマッサージを施して、ほうっと息を吐く。

真壁くん、大変だぁ、こんなことよりもっと大変なお仕事をいつもしてるんだもんね。
それにボクシングだって本格的に取り組んでるし。
凄いなぁ、偉いなぁ。 わたしももっとサポート出来るように頑張らなくちゃ。
もう数え切れないくらい何度目か、真壁くんへの恋に落ちたわたしは、
昼間の疲れもあってそのままぽてんと眠りに落ちていった。





そんな一日目だったけれど、慣れてきたのもあったのか、完璧…とまでは行かないものの、
日を追うごとに何とか一人でもこなせるようにはなっていった。



バイトの子達は皆優しかったし、最初は目を吊り上げてわたしを睨んでいたお店の人も、
今はチラリと見るだけで何もお咎めは無い。
お店に来るのは殆どが女の子だし、数多くの種類の中から一つを選ぼうとする視線は、
きっと学校では見せないんだろうなと思うくらい真剣で。(わたしもそうだろうけど)
微笑ましく思う気持ちが自然に顔に出るみたい、作らなくても笑顔が自然に零れて。
お気楽なわたしはすっかり忘れていたのだ、真壁くんにバイトのことを告げるのを。


最大の問題だった制服も、着てしまえば自分の姿を自分で見ることも無いし、
お客さんである女の子達も好意的な、あるいは羨ましそうな目でわたし達を見てくれているのが分かる。
…だから多少の気恥ずかしさはあっても、ちっとも構わない、構わないのだけど。

問題は一人もしくは数人で入ってくる男性のお客様。。
別に男子禁制じゃないし、純粋にこのお店のケーキが好き、あるいは単に休憩したい、
そう思ってるだけだと言い聞かせてみるのだけれど。
中には可愛い子のウェイトレス姿を目当てに来る人もいるみたい。
割切っている子の中には、気に入った人だったら密かにメアドを渡している子もいるみたいだけれど。
メニューの中身はともかく、プライベートなことまで質問してくる人、
注文を受け、奥へ戻るまでの間も後ろからの視線を痛いほど感じてしまうと、
そういうつもりじゃないのだろうと思っても思わず背にぞくりとする感覚を覚えてしまう。


やっぱり、この制服って男の人から見たら…なのかな?
もしかして、真壁もこういうお店に行きたいと思うの…かな?
真壁くんがこのバイト(というか制服)のことを知ったら怒る…かな?
逃げ込んだ店の奥で、わたしは小さく息を吐いた。




「いらっしゃいませ」
「江藤さんって言うのか、ふ〜ん可愛いね。 髪、長いのにすっごい綺麗だね」
“可愛い”という褒め言葉も、発する人によってはこんなにも受け止め方が違うのかしら。
たまに一人で見える男性のお客様。
ウェイトレスの子達の間ではちょっと敬遠されていて、進んで応対に出る子はいなくて。
この日も後ろから押されるようにして、仕方なくわたしが応対にたった。
じぃっと胸元の名札を見つめ、それから移された視線がまるで全身を舐めるように動き、
わたしは慌ててトレイで胸の前辺りを隠した。

「何? 僕、何かした?」
「いいえ…」
何とか笑顔を浮かべてテーブルを離れようとしたけれど、
そんなわたしに立ち上がってぐっと顔を近付けて来た人に思わず後ずさってしまう。
どうしよう…助けを求めてみても、他の子達は皆奥に引っ込んでしまって出てこない。

「何だよ〜、僕もお客だろ?」
眼鏡の奥から爬虫類のような眼を覗かせ、トレイを握り締めたままのわたしの手首を掴んだ。


いや〜、助けてよ〜



…誰か、……真壁くんっ!





思わず叫ぼうとした、その時だった。







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