「Mi piaci!」






どうも最近真壁くんの様子がおかしい。
わたしの前から突然消えてしまうような決定的な危機感は感じないけれど、何かを隠しているような。
何かって? それは分からないけど、女の勘よ。
…ううん、状況証拠ならぽつぽつと挙がってるの。


部室で見かけた日野君との不思議なやり取り。
肘から下を折り曲げ前に突き出した真壁くんの両手と腕に乗せられた4冊のノート。
それを見ながら囃し立てる日野君。 何してるの?って聞いても上手くはぐらかされただけだった。
洗濯籠に投げ込まれた黒いシャツから香るオリーブオイルのにおい。
妙にしつこく尋ねられる休日のわたしの行動。
それが、デートのお誘い…じゃないってことはわたしを避けてるってことよね。
嫌われたのかもと疑心暗鬼に陥らなくなったのは、前よりは真壁くんの傍にいると信じてるから。
単にずうずうしくなっただけ…じゃあないと思いたい。


真壁君は苦手なようだけど、実はわたしは意外と日野君には強い…と思う。
ゆりえさんを楯に問い詰めたら、あっさりと口を割ったのだ。
勿論、日野君の口ぶりからするとワザと漏らしている気配もあったけれど。


そんな経緯で、真壁くんが内緒でバイト(しかも接客業!)をしているのを突き止めたわたしは、
休みの日にこうして人で溢れかえったこのショッピングモールに一人で偵察に訪れたのだ。
カップルや家族連れで賑わう中、ぽつんと一人でお店に入るのはちょっと抵抗があって。
ファーストフードのお店で味気ない昼を済ませ、すれ違う手を繋いだ恋人達を少し羨ましく思いながら、
お店があると言うフードコートのフロアへと足を踏み入れた。
…まさか、真壁くんより先に迷子を見つけてしまうとは思わなかったけど。




目当ての店に程近い場所でえんえんと泣き声を上げていた姿に、
何故だか小さい頃の真壁くんの姿がダブって(そんな真壁くんの姿は記憶に無いはずなのに)、思わず声をかけた。
周りの人はチラリと目を向けては見るけれど、足を止める人は居なくて。
お母さんと逸れたのか酷く心細かったのであろうその子は、わたしの足にがっちりと抱きついた。


もう大丈夫よと声を掛けても母親の姿が辺りに見えない男の子は泣き止む気配も無くて。
涙でぐずぐずになり、泣き腫らして真っ赤になった目でわたしを見上げる顔をハンカチで拭いてあげる。
と、わたしの後ろで耳に馴染んだ声がした。

「…江藤?」

あ〜あ、先に見つかっちゃったか。 …って、真壁くん、そ、その格好はっ!
ニヤニヤしながら教えてくれた日野君の顔が浮かび、その意味を真壁くんを目の当たりにして瞬時に悟る。


ハッキリ言って目茶苦茶カッコいい…以外の言葉が浮かんでこない。
緩く左右に分けられセットされた髪、
痩せているけどガッチリと逞しい肩のラインが強調される、黒いシャツ。
二つほど釦が開いているくせにだらしなさなんか少しも感じさせない。
ううん、むしろセクシーって言うのかしら、首筋から鎖骨にかけて奇麗に浮かんだ筋肉が
シャツの隙間からちらりと覗いて。
ウエストの高い位置できゅっと縛られた、闇を思わせる黒いギャルソンエプロンが、
すっと脛の辺りまで細く長い下半身を覆っているのが、更に真壁くんの腰の細さと足の長さが強調していて。

ギャルソンエプロンなんて真壁くんのイメージと違うんだけど…もの凄く似合ってるっ!
え〜、今までこんな素敵な格好で他の女の子達(だけじゃないだろうけど)に接客してたの〜!


半分見とれて、半分はこの姿を見た不特定多数の人達への理不尽な悔しさを抱きながら、
わたしは目の前の彼(か)の人の名をぼろりと無意識に呟いていた。

「…真壁くん」

「どうかなさいましたか、え…じゃなくて、お客様」
…ちゃんと言い換えるのね、ま、接客中だったらそうなるわよね。
言葉と同時に一瞬崩れていたポーカーフェイスも復活し、腰から斜め15度に身体を折りながら
優雅に尋ねる真壁くんに、わたしはひたすら心と視線を奪われていた。
止まってしまったハンカチを持った手と、外された視線を敏感に悟った男の子は、
足元で再び大きな声を上げ、涙をこぼし始め、その泣き声にやっとわたしは我に返った。

「う〜ん、迷子みたいなのよ」
突如視界に現れた、黒ずくめの大きな影に脅えたのか、男の子は身をすくめる様にわたしの後ろに逃げ込んだ。


「おい、坊主、誰と来たんだ?」
「おか…あさん」
「で、ここではぐれたのか?」
「…わかんない」
「この辺りをうろうろしてたんだよね、もうちょっと向こうの方からかな?」
わたしが指した方向はビルの入口から直結するエスカレーターの上り口辺りで、一番人気の多いところだった。

「仕方ねぇな、…ちょっと待ってろ」
ずっとわたしの後ろに隠れたままの男の子の姿に小さく舌打ちをしたのが聞こえたけど、
その後真壁くんは店に入ると、間もなくわたし達のところへと戻って来た。


漸く涙の筋を残して泣き止んだものの、男の子はわたしを唯一の頼りと思ったらしく、
立ち上がったスカートの裾をしっかりと握り締めて。
再び戻ってきた真壁くんを、カーテンの後ろから窺うようにスカートの脇から恐る恐る眺めた。

そんな姿に半ば呆れるような顔付きをした真壁くんだけれど、
徐にその子の(つまり、わたしの)前で片膝をつき身を屈め、顔を覗き込んだ。

「上ったり降りたりはしてないんだな?」
ぐっと近付いた真壁くんの姿に、男の子は脅えた表情(かお)で、声を発することなくこくりと頷いた。
「じゃあ、来い」
男の子の腕を乱暴に引っ張る真壁くんに、びっくりしたわたしと男の子の両方の口から声が上がる。

「…別に何にもしやしねぇって」
んなに信用ねぇのかよと口中で呟くとじろりとわたしを一睨みした。
そして、おもむろに真壁くんはひょいと男の子を抱き上げると自らの頭の両側に小さな足を跨らせた。
いわゆる肩車というやつだ。

「ほら、これなら良く見えるだろ、お前も、お前を探してるお袋さんからも。
さっき泣いてたみたいな大きな声で叫べよ」
頭上の男の子にそう声を掛けると、そのまま人で溢れかえる通路をゆっくりと視線を移しながら歩いていく。


男の子が道行く人に目立つ様にということは、肩車をしている真壁くんも目立つということで。
特にお店の格好をしたままの、黒いシャツに長いエプロンという出で立ちの真壁くんの姿は、
この人混みの中でも人目を惹くには充分だった。




真壁くんが本当は優しい人…だとわたしが知ったのはもう随分と前のこと。
同時に知っている、目立つことが好きではない人だということも。
そして
真壁くん自身はそう思ってるにも係らず、人を惹きつけて止まない魅力を持っていることも。

その容姿に惹かれるだけじゃなくて(勿論それも充分な理由ではあるけれども)、
持っている資質、例えばそれはどんな困難であっても目を逸らさずに進む力だとか、
どんな運命にあっても自らの手で未来を掴み取ろうとする力だとか、
嘗て真壁くんが辿ってきた運命の中で多くの人が彼を頼りにし、また、彼に手を差し伸べてきたのは、
性別も、年齢も多岐に亘った人達であったことからもそれは明らかで。


さっき小さく舌打ちをしてみせたたり、言外に面倒そうな素振りも見せたけれど。
それは真壁くんが本心を隠してわざと見せてるってわたしには分かるの。
ぶっきら棒でほんのちょっぴり近寄り難く見えるけれど、
困ってる人を見過ごすことなど出来ない、優しい人。



頭一つ抜きん出た肩の上の男の子は、周りから注がれる視線に身体を強張らせて。
そんな男の子に、真壁くんは上を向くと一言二言声を掛け、支える手で小さな膝をぽんぽんと軽く叩く。
頑張れ、そう励ますみたいに。
最初は真壁くんに脅えて、落ちない程度に手を置いていた男の子も、彼の頭にしっかりとしがみ付いて。
いつもの自分よりもずっと高い位置からの視線から見える周囲の景色に、
いつしか自分が迷子だということも忘れたかのように彼の頭上ではしゃいで。
ずり落ちそうになった男の子の身体を慌てて真壁くんが受け止めた。
それすらも一つのレクリェーションの様に、その子は声を上げて彼の頭上で歓声を上げる。


ほら、何にも言わなくても子供にまで分かっちゃうくらい…優しい人。
真壁くんに半歩遅れて、子供を捜す親の姿が無いかと周囲を見回しながらも、
やっぱり惹きつけられて仕方の無い、目の前の大きな背中。
まだ不安を拭い切れないであろう頭上の子にちょっぴり申し訳ないと思いつつ、
逞しい頼りがいのある背中に自然と笑みが零れちゃう。

きっと、もの凄い勢いで真壁くんは拒絶するだろうけど、
この人がわたしの大好きな人なのよって言い触らして回っちゃいたいくらいに。





「たくちゃん!」
「あ、おか〜さん!」
人混みを掻き分けて母親らしき人が駆け寄ってきた。
随分と涼しくなったのに汗で貼りついた髪、肩から下げているはずのバッグは動き回るうちに滑ったのか、
肩と肘の真ん中あたりでぶらりと揺れていて、必死で探していた様子が窺われた。
そして我が子に無条件に差し出される、手。
同様にお母さんの姿を認めた真壁くんはゆっくりと腰を下ろし、その子を下へと降ろした。
「…良かったな」
「うんっ」
お母さんを見つけて飛びきりの笑顔になった男の子の頭を撫でてあげる真壁くんは、
…その日何度目かの、見とれてしまうくらい素敵な笑顔だった。


「ありがとね、おじちゃん」
「お、…って、ちょっと待て! ったく、これだからガキは…」
お母さんに手を取られ、逆の手を振りながら去ってゆく男の子の、
最後のおじちゃん攻撃が応えたのか、今迄の恩をとブツブツ呟く真壁くんがおかしくて。
堪え切れずにくすくすと横で笑っていたら、真壁くんはわたしにコツンと拳固を食らわせた。

「俺がおじちゃんならお前はおばちゃんだ!」
「え、お姉ちゃんて呼んでくれてたよ?」
目尻に溜まってしまった涙を指で拭いながらそう答えたら、くっそ、あのガキと小さく呟いてた。
ぷっ、なんか、ホント…可愛い…かも。




「あ〜、お前も何時まで笑ってるんだ」
小さくデコピンを喰らって見上げた真壁くんはどことなくバツが悪そうで。

「いいお父さんになりそうね」
言ってしまってから、わたしはあっと口を噤む。

たくちゃん、と漏らしたお母さんの声に無意識に未来の扉で出会った彼を思い出したからなのか。
慣れていないと思っていた小さな子供に、応対していた姿があまりにも自然だったからか。
…そんな言葉がぽろりと漏れてしまった。

ばかばか、自分のばかーっ!

これって…なんか意味深だよね、黙り込んでしまったこの態度も含めて。
お父さんに必要な誰かを、そして、一緒に歩むその誰かに未来の自分を重ねた…なんてお見通しだよね。
真っ赤になって俯いてしまったわたしを真壁くんはチラリと見て呟いた。

「ま、そのうち…だな」

え〜、え〜、え〜! それって…

がばっと見上げた真壁くんはわたしと同じくらい…ううん、わたし以上に耳まで真っ赤になっていた。

それって、わたしと…ってことよね。


「何度も反芻すんな!」
ごちっと音がするくらいのデコピンをもう一発食らったけど…ダメだよ、嬉しすぎて。

「いいか、お前がガキみたいにいつも心配かけるからだ、俺がジャリのあしらいがうまいのは」
…ちょっと、それって墓穴掘りすぎじゃない、真壁くん?
わたしが気に掛かって仕方が無いって言っちゃってるみたいに聞こえるよ。
今のわたしは自分に都合の良いようにしか解釈出来ないんだから。


子供の扱いが上手いのは、わたしが心配を掛けるから、…だけじゃあ、きっと無くて。
まだ目尻に涙が残る霞んだ視界で、男の子が居た辺りを眺めながらわたしは思いを馳せる。

あの子はやっぱり幼かった頃の真壁くんのような気がして。
誰かから与えられる温もりは、自分だけでは生み出すことなんて出来ない。
たとえ自分で自分の膝を抱えてみたって、きっとちっとも温まらない。
幼い真壁くんが求めた温もりは、あの子がわたしに差し出した手が求めたものと同じ。
だから、真壁くんは人目も厭わずあの子に手を、温もりを与えた。

時を遡ることなど出来ないけれど、幼い真壁くんをわたしが抱きしめて温もりをあげたかった。
ううん、これから、抱きしめてあげればいいのよね。 

いつか出会うはずの、…卓と名乗ったあの子に、真壁くんと二人で。






「…つか、お前なんでこんな所にいるんだよ!」
一転、不機嫌そうな声を出した真壁くん、目が怖いんですけど。

「え、だってゆりえさんの知ってるお店なんだって?」
一応情報の出所は秘密、でも真壁くんは薄々勘付いたみたい。
握り拳を作っちゃってるもん、あ〜あ、痣の一つで済むかなぁ。
でも、日野君だってわたしがやきもきするって知ってるくせに真壁くんにこんな格好させるなんて。
(正確にはこんなバイトを紹介するなんて、だけど)
ちょっと気の毒に思った相手にわたしは少しだけ薄情になって、
この場にいない人物を思い出し、報復を誓う真壁くんをチラリと見る。

「やっぱりもっと早く来れば良かった、そんな素敵な格好してるなんて知らない」
ついでに真壁くんにもちょっと意地悪。
上目遣いに睨んでみせたら案の定そっぽを向いて、セットしていた髪をぐしゃりと乱した。
…あらら、勿体無い、口元まで出掛かった言葉をわたしは慌てて飲み込んだ。

「…だから言いたくなかったんだよ」
唇を尖らせて、まるで拗ねた子供のような口ぶりで。
ふふっ、可愛いって言ったら怒るよね?


飛び切り格好良い真壁くん

頼りがいのある真壁くん

いいお父さんになりそうな真壁くん

可愛い真壁くん


…ね、わたしは何度でも真壁くんを好きになるみたい…よ。






「おおい、真壁」
遠く、お店の方から真壁くんを呼ぶ声が聞こえ、小走りに戻る後を何となく付いてゆく。
そんなわたしをお店の人は不思議に思ったみたいで真壁くんに尋ねた。

「あれ、それって?」
「俺の……彼女だよ」
ちょっと誇らしげに聞こえたのはわたしの欲目かなぁ。

え? 彼女って言った? …ねえ、ほんとに、真壁くん?
もう、今日はやきもきもびっくりも一杯だけど、嬉しさも一杯よ。



今の気持ちは、まるでこの店の名前みたい。





やっぱり大きな声で言いたくなっちゃうな“Mi piaci! (あなたが大好きよ!)”って。







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