「Mi piaci!」






空は抜けるように高く、爽やかな風に心地好い陽射し、そして隣には…日野。
つんつんに立った髪と神谷に勝るとも劣らないゲジ眉を見てひっそりと溜息を吐く。
…ったく何だってコイツなんかと飯を広げなきゃならねぇんだ。
手元にあるのは江藤のお手製弁当、そして、作った本人は…この場に居ない。

「あ、てめぇ、こいつなんかって思ったろ、今」
日野の持つある種の才能に感嘆しながら、ならばともう一度、
今度は見せつけるかのように大袈裟に溜息を零す。
「おやおや真壁君、溜息なんか吐くと幸せが逃げてっちゃうよ〜」
…お前が来た時点で逃げてるっつーの、江藤の存在という幸せが。

「まぁまぁ、お前が即うんって言いさえすれば俺はすぐにでも開放するのによ、
だからうんって言えよ、俺と一緒にやるって」

言えるかっ!

大体、何のバイトかも言わずに『俺と一緒に稼ごうぜ〜』なんて怪しい台詞に乗れるかっつーの。
こいつのことだ絶対二重三重のトラップが仕掛けられているに違いない、俺をからかうネタの。
慎重になり過ぎて過ぎることは無いのはこれまでの経験から学習しているつもりだった。


「ったくよ〜、短い間のことなんだし、それで『わりと』稼げて『時間』も出来る。
江藤と『二人っきり』で過ごす時間だって増えるし、
そうすりゃもっと『恋人らしい』ことだってしてあげられるんだぜ」

所々を強調しながら(しかもそれは俺の痛いところばかりを突いてくる)ぐいぐいと肩を抱き、
耳元でどこかの悪徳商法のように甘言だけを吹き込む日野を肘で突き飛ばし、じろりと睨む。
確かに工事現場のバイトは不規則だし夜も遅い、結果江藤と過ごす時間も限られて。
アパートで飯を食うのがデート(と呼べるかも疑問だが)なこの頃に江藤が不満を抱いてる様子は伺えないが、
それでも、最近普通の恋人らしくどこかに出かけたのは何時だったか、はっきりと思い出せなかった。
やっぱ、それはさすがにマズイ…よな、けど……。

「江藤が出てくると真壁君も弱いねぇ」
内心の逡巡を見透かすかのようにニヤリと笑みを浮かべながら俺の顔を窺う日野。
「俺はっ…」
やらねーぞと発しようとしたところで、あいつの最後の一撃が俺を見舞う。
「多分クリスマスは『お勉強』してもらえるぜ、恩を売っとけば…な」

数ヵ月後に迫った恋人達のメインイベント!?を持ち出された途端、
事の経緯は最大限に省かれてるものの、ツリーの前で嬉しそうに微笑む江藤の顔が目の前でちらつき、
更には頬にキスを受けてる自分の姿が一瞬で浮かび(当然、口が裂けても言えるはずがない)、
後の言葉は歯軋りと共に口中に飲み込まれた。
…くっそ、日野の奴。




アイツの持ってきたバイトは、…俺の一番苦手な接客業だった。
美味しいイタメシだか何だか分からねぇが、隣接する場所にはシネコンや、
小規模ながら観覧車やジェットコースターなどアトラクションまで揃った
巨大なショッピングモールのフードコート、そのうちの一軒が日野が斡旋してきたバイト先だった。

「無理だ、絶対っ!」
「今更往生際悪いぞ、一度『うん』って言ったんだからな」
「言ってねぇぞ、俺は! てめーが勝手に騙ったんだろうが」
「だから、内心を代弁してやったんだろ。 いい加減ここまで来たら諦めろよ」
店の勝手口に当たるドアの前で空しい小競り合いをしていると中からドアが開き、
店の雰囲気からすると厳つい、全身黒尽くめの衣装で覆われたがっちりとした体格の男が現れた。

「あら、日野君じゃない、待ってたのよ」
「コイツが言ってた奴なんですけど…」
ぐいぐいとシャツを引っ張り、向きを変えかけた俺を前に押し出す。
ジロジロと眺める目つきが、…商品の品定めをするようで尋常じゃない。
「…ふ〜ん、オッケー。 ううん、これ以上ないくらいの上玉よ、勿論合格」
女言葉になった語尾と流し目に、もう一度向きを変えようとした俺の耳元に日野は「江藤」と囁いた。
…くそっ。 



こうして、急ごしらえの頼りないギャルソンバイトが登場する運びとなった。
当然、制服と言うものが支給される。
と言っても上半身は黒いシャツにこれまた細身の黒いパンツ、そしてエプロン。
正社員はシャツの上にベストを着用するらしいのだが、バイトの俺らは免除で。
一応全て留めることになっている釦はやはりうっとおしいので二つ程外していたのだが、
それを見たオーナー(前述の女言葉で喋る奴だ)はふ〜んと首を傾げたが、
何故か小さく頷かれだたけでお咎めは無く、その点に関しては息が詰まるということはないのだが。
脛の辺りまであるギャルソンエプロン(と呼ぶのだとも初めて知った大きな布着れ)は
ともすれば裾が纏わりつき脚を取られそうで、
女のスカートは意外に面倒臭いのだなと言うどうでもいいような発見はあった。


しかしなぁ…。
夜の部が開く前の店内で、戦闘を前に賄いで腹ごしらえをする奴らをそっと眺める。
オーナーの趣味かどうかは分からないが(が、あの表情からすれば確実に趣味、だと思われる)、
社員を始めバイトまで一人残らず野郎で占められていた。(別に女を期待してた訳じゃない)
それがまたジャニーズ系から可愛い系、果ては髭を生やしたワイルド系に至るまで選り取り見取りといった風情で。
気の良い奴らばかりだったので思ったより職場環境は快適だが、
どう見ても飲食店よりはホストクラブに近いような気がする。
改めて見回してオーナーの趣味が如実に現れた面々に思わず小さな溜息を吐いたら、
溜息の意味を悟った一人が、お前もその中の一人なんだよと笑って俺を小突いた。


…まあ、この姿を江藤に見られないだけマシか。

姿を目にしたら笑われるのは確実だ、いや、むしろハートを飛ばされる方か。
何しろ俺にしては充分にフォーマル(という言葉が適当なのか疑問だが)な格好だから。
この場所が地元の駅から数駅離れた、江藤とは滅多に来ない(と言い切るのも情けないが)
デートスポットなのも幸いし、週末や店の忙しい時を中心に慣れないながらもバイトは続いた。
当然、江藤の行動はそれとなく、けれどしっかりチェックはしていたが。
だから少し油断していたのかもしれない、それとも…。




秋の行楽日和、小さな連休は近場に出かけるには持ってこいで、
混雑の予想されるその日は、早くからシフトに組み込まれていた。
ちゃっかり休みの日野は、久々に河合とのデートをもぎ取ったらしい。

「う〜、今日も忙しそうだな、ったくカップルばっかり」
ちらとボードウォークに視線を落としたバイト仲間は、道行くカップルを眺め
呆れつつも羨ましそうな口調で洩らすと手摺にべっとりと身体を凭せ掛けた。

「お前は…彼女とかいないのかよ?」
ぞんざいに尋ねられたその一言で、いつもの事ながら休みを一緒に過ごせないと切り出した俺に、
寂しそうな様子も見せず逆に頑張ってねと俺を労わった江藤の姿を思い出し、表情が翳る。
そんな俺の態度でいないと判断したらしいそいつは、もてそうなのにねぇと呟いて話を切り上げた。


勝手に判断を下された事よりも、(俺が言わない故に知るはずが無いからだが)
江藤の存在自体を否定されたようで、むっとした俺はそのまま店内へと踵を返す。
尤も、隠してるつもりは無いくらいの、他人には判りづらい俺の態度がいけないのだろうし、
そんな自分に一番腹が立っていたのだが。




ランチタイムは夜の部に比べてメニュー数が少ない、が、その分客の回転も早く。
まさに戦場のような厨房から送り出される料理を素早く、間違えずにサーブしなければならない。

「もし上手く対応出来なかったら笑って見せるのよ、たとえ無理に作っても。
それだけでぐっとお客さんの反応は変わるんだから、いいわね!」
最初に聞かされた時はどんなアドバイスかと思ったが、女性客が多いこの店では存外有効らしい。

手の大きさゆえに皿を複数同時に持ち、テーブルに運ぶことに困難はさほど無かったが、
メニューや食材の説明、果てはプライベートな質問まで投げ掛けてくる客に対し、
俺は背に嫌な汗を掻きながら、言われたとおりに(無機質な)笑みを浮かべては他の奴にバトンを渡し、
何とかピンチを回避していた。



いつもは女性グループが大半のこの店も、今日ばかりはカップルや家族連れで賑わい、
食事を待ちきれずに狭い店内をちょろちょろと走り回るガキ、
もとい子供を避けながら、湯気の立った皿を両手に進む。

店内じゃなければ、客じゃなければ、げん骨の一つでも落としてやろうかと思うくらいに
傍若無人に駆け回る子供の親を追ってみれば、話に夢中で全く気が付いていないようだ。
…ったく、自分の子供くらい面倒みろっつーの。
内心で悪態をつきながら、同時にきっと江藤なら…とふと想像してしまった自分に苦笑する。



「真壁、外見てきてくれ」
「ハイ」
照明を落とした店内と違い、吹き抜けの上を覆う天窓から明るい光が降り注ぐ外の眩しさに一瞬目を顰め。
ずらりと並んでいた順番待ちの列もどうやら一段落着いたらしく、数人が待ち椅子に腰掛けているだけだ。
案内の名前を消しながら、眺めた外は相変わらず人混みでごった返している。


こきりと肩を鳴らしながら店の中へ戻ろうとした瞬間、

「わ〜〜〜ん」

表の人波の中で一際大きく、高く響く泣き声が辺りに響いた。
その方向へ視線を遣った俺の目に飛び込んできたのは、
声を張り上げて泣き喚くガキとその前にしゃがみ込み宥めているらしい長い髪の女だった。


お母さんと張り上げるガキはどうやらこの人混みで親と逸れてしまったらしく、
親切な誰かがそれを見つけたんだろう。

…って、江藤?

思わず叫んでしまった俺を並んでいた客が訝しそうに見つめる視線に、
やっと自分が仕事中だと気付き、慌てて口を噤む。


俺の声が聞こえなかったのか、目の前にいる筈のない江藤は、
涙でグショグショになったガキの顔をハンカチで拭ってやることに必死になっていた。





でも、一体どうしてここに江藤が居るんだ?







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