まさか、こんなことになるとはなぁ…


俺は隣の江藤に気付かれぬようにこっそりと溜息を吐いた





     Who is the nice guy ?





事の起こりは苦学生ならではの悩みから、だった。
学生生活を送る上で最低限の費用(主に学費のことだが)まで自分で賄うのは流石に無理としても。
「必要であればいつでも言いなさい」と魔界に住むお袋は言うけれど、
まがりなりにも一人暮らしを送ると決めたのは自分なのだから、せめて生活費くらいは稼がねば。
それに、ボクシングに必要な道具を揃えるのだってそれなりに金は掛かる。


そんなこんなで常に貧乏暇無し、割のいいバイトを探す俺。
「時給一万円で私のボディーガードに雇ってあげるv」と冗談とも本気ともつかぬ神谷はおいといて。
サービス業(特に接客業)にも向かず、愛想笑いをするくらいなら地面と会話をしている方を選ぶ俺に
今までにもバイトの話を斡旋してくれる友人は呆れる。

「ったくよ〜、そのルックスがあってトーク…は無理としても愛想笑いさえ出来れば
年齢を誤魔化してだって時給のいいところで働けるのによ」

実年齢でもあと一年もすれば堂々と!?酒も飲めれば煙草も吸える、立派な成人男子ではあるけれど。
…それが出来ないから地道に稼いでるんだろうが。 人には向き不向きってもんがあるんだ。


俺のバイトを探すのは何もヤツだけではない。
手に入れたフリーペーパーを捲っているのは目の前の、恋人。
ヤツとは違ってなるべく地味めで高額なバイトを探しているらしいが、
その本当の理由が、「俺を人の目に触れさせたくない」らしいという所がこそばゆくもあり嬉しくもある。
…ま、俺が万が一江藤のバイトを探すとしたら、やっぱり同じ理由なんだろうけどな。
(それ以前に、なるべく江藤にはやって欲しくない…のが本音だが)



そして俺より顔の広い江藤は思いがけないところからバイト話を拾って来た。
「筒井君の所属する芸能事務所の雑用係をやらないか」と。
中身を知っている訳じゃねぇが、芸能事務所なんて交流関係が派手そうな場所でのバイトなど、
江藤が趣旨を転換したのかと思いきや、どうもそうではないらしい。

普段、全くといって俺は自分のバイトの内容について語ることは無い。
それは、ただ単純な作業やおっさん共に囲まれての重労働を伝えたところで楽しい話でもないから、
という単純な理由だけなのだが、江藤にとってはそれが寂しくもあり、多少の不満でもあるらしい。
自分の口利きならば(正確には筒井の口利きになるらしいが)、普段は謎に包まれているバイト中の
俺の様子も少しは話して貰えるのではないかというのが、その本音らしい。
大体、バイト先で何かが起こるなどと危惧しているのは江藤だけで、俺自身は単なる金を稼ぐ場でしかないのだが。
(勿論、多少の社会勉強の場であることも承知はしているけれど)


最初はこの仕事を請ける事で、江藤と筒井の距離が再び近くなるのではと嫉妬混じりの危惧も抱いたが、
自分がその場にいるのだから何とでも対処のしようがある。
(力を使うことも、こと、これについてはやぶさかでない)

更に、裏方の仕事として体力的にハードな面もあり、時間を拘束される事態にも柔軟に対応できる者、
また所属するタレントのプライベートが流出するのを防ぐために口が堅い、
或いは芸能方面に興味を持たぬ者、事務所側が挙げる幾つかの条件を俺はあっさりとクリアしたらしい。
「是非、来てよ」という声もあり、炎天下での肉体労働よりはまだ室内で過ごせるこの話を、
俺は夏の間のバイトとして選んだのだった。
が、まさか、それがこんな展開になるとは…。




雑用係、まさにその言葉がぴったりの仕事内容は多彩を極めた。
一つ処にじっとしている仕事は性分ではないので、その点では有り難いが、
日々異なる仕事内容に、ミスを犯さぬように注意を払わなくてはならぬ仕事では、
ただでさえ無関心な芸能界の実情の一部分を知ったところで、今更惹かれる訳もなく。


グラビアの撮影だか何だか知らないが、衣装や道具を抱えては走り回る俺は、ふと何かを感じて足を止めた。
が、辺りに仕事に支障をきたすような異変は感じられず、気のせいかと仕事に戻ってみれば、
再び、今度は明らかな意思を持った視線を感じて。
しかも、四方から注がれるそれは顔ではなく身体に感じるものだから、何とも中途半端にむず痒い。
そんな視線の矢は数日間に渡り俺に降り注がれて、けれどこちらはあくまでもバイトの身、
“視線を感じる”まさかそれだけで不満を言う訳にもいくまい。


そのイライラも頂点に達したある日、オネエ言葉としなを作ったこの業界特有の!?の二人組が
先を急ぐ俺の前に立ちはだかりおもむろに口を開いた。

曰く、「CMに出てくれないか?」と。

冗談じゃねぇ、こちとらそれが出来ねぇから地道に日銭を稼いでるっつーのに。
(というか、出来たとしても避け続けてきたからここにいるのだが)
「んなもん、出来る訳ねぇだろ」と喉まで出掛かった罵倒を、若干上方修正して一蹴してみても、
雑事で走り回る俺の後を金魚のフンの如く、二人が付き従う。
…てか、それはマジでやめてくれ、色々誤解を生みそうだから。


「だから、おれは無理です! バイトも本来は禁止ですし」
「大丈夫! 私達が太鼓判を押すからv」
…「v」はヤメロっつーの気色悪いから、オッサン。
学生の身分を盾に断ろうとしても「顔は一切出ないから大丈夫」と素気無くかわされる。

「あなたしかいないの! セリフも無いし、ただ立ってるだけでいいからv」
「それに、このCMに出るだけで、そうね〜、君がこの夏ここで稼ぐバイト代の…倍以上は出るわよ」
倍、以上…だと? 素早く頭の中で数字をはじき出してしまうのは…貧乏人の哀しい性だ。

「そうよ、しかも2〜3日の労働で、後は素敵な夏休みを送れるし〜」
頭の隅に江藤の笑顔がチラリと浮かぶ。
素敵…かどうかはともかく、時間が出来るのは正直有り難い。

「絶対に秘密厳守だからv 
 この企画自体がそういう企画なのよ、『あのモデルは誰?』って話題性を持たせましょうってね」
ってことは、どこにも洩れる心配は無いってことか。 …てか問題はそこじゃねぇだろ、俺。


流石にこの業界を生き抜いてきた(と思われる)二人の、巧みな悪魔の囁きに、
頑として撥ね付けるつもりの俺の意思が、懇願とギャラの多さにぐらりと揺らぐ。
その微かな変化を敏感に読み取ったのか、二人は代わる代わる俺の前でしなを作る。
…だから、それはやめてくれ;

「ぶははははっ!、真壁、その二人にそこまで頼まれて拒んだら男じゃないよな」
そういや、さっきから俺達の様子をニヤニヤと眺めている筒井は、…何か関係があるのか?
不思議そうに投げかけた俺の視線に気が付いた筒井は自分のポジションを明かす。

「ん、僕? 僕もこの企画の一員なのさ。 音楽担当ってやつ?
 …でもって蘭世ちゃんから頼まれて…はないけれど、自称お前の『監視役』」
「監視って…」
「あら? それ誰のこと 真壁君の彼女?」
「そうですよ、これがまたコイツに勿体無いくらいの…」
だーっ、黙れ、筒井! 余計なことをこれ以上オッサン達に吹き込むな。
それに、監視されなくてもそんな心配(どんなだ)は全く必要ねぇ!
ギロリと睨みつけても、アイドル並みの(ま、アイドルではあるんだろうが)爽やかな笑顔を浮かべては、
筒井はあっさりと遣り過ごす。

「だったら、やっぱりここでうんと言わなきゃ男じゃないわよねぇ〜。
 で残りのバカンスはその彼女と“いちゃいちゃして”過ごしなさいな」

辛うじてバランスを保っていた針は“江藤”というキーワードで完全に振り切れた。
…決して、決して金に目が眩んだ訳じゃない。(いちゃいちゃ、にもだ)
これ以上抵抗した所で、夏中こいつらにケツを追い回されたら結局は同じ事。


誰に対して弁解してるのか自分でも良く分からぬまま、俺は見事にこいつらの手管に嵌まったのだった。





正式に内容を聞かされて、俺はあの時感じた視線の意味を知ることになる、顔出し無しの意味も。
つまり、一番の目当ては俺の“身体”だったらしい。(語弊があるような気がするが、事実だ)


出演するCMで売り出す予定の商品は、ローライズのスキニータイプのジーンズで。
ぴったりと身体にフィットして、美しいラインを描き出すのが特徴の品に対し、
それに負けない映えるボディを求めていたというのはオカマ野郎の片割れ(プロデューサーらしいが)の弁。
俺がスポーツをやっていることも筒井からの情報で入手し、
耐え得る実物(身体)が存在するのを目にしてその思いを強くしたらしい。
やっているスポーツがスポーツなだけに、裸(上半身、だ!)になるのは
ボクシングのユニフォーム姿と大して変わらない。(むしろパンツで無いだけ露出は低い気がするが)
故に脱ぐことに対してさほど抵抗は無かったが、それがカメラや大人数の視線が注がれる中で
となると話は少し違う。

しかも、シャツを脱いだ途端にどよめかれては…あの時首を縦に振った自分が恨めしくさえある。
それでも承諾してしまったのは、自分の意思である事には違いない。
この企画に関しても大きな金と人が動く以上、一人の素人の我侭だけではもう戻れない事くらいは
さすがの俺でも分かったから。


ひたすら心を石にして、俺は撮影期間を乗り切ったのだった。








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