sometime , in our home





ギィと低い音を軋ませながら扉が開く。
学生時代に過ごしたアパートの薄っぺらいスティール扉よりも、半年ほど過ごした我が家の玄関の扉よりも
もっともっと重厚で、厳かな印象を受ける緻密な模様の施された引き手を、俺はゆっくりと離した。


一歩踏み入れた室内は扉と同じように決して派手ではないが豪奢な装飾で彩られ、
だだっ広い空間にはゆったりと配置されたテーブルセット、埋もれてしまいそうな程柔らかに身を包むソファが置かれ、
天蓋からふんだんに布を用いられて美しいドレープを描くカーテンが緩やかに覆う大きなベットをがその奥に見える。
それでもなお磨かれ光り輝く床が広がっている。

広さだけならば、否、広さも設えもこれ以上快適な場所は無いだろう、追われた身が寄せる場所としては。
けれど、普段は忘れている、自分を含めた王家の力をこんな形で認識させられるのは…思いの外堪えるものだ。




俺達が人間界を追われて数ヶ月が過ぎようとしていた。
傍若無人に個人のプライバシーへ土足で踏み入る記者達、アイドルの淡い恋心を面白可笑しく囃し立て煽るマスコミ、
その中で成長を遂げた鈴世が僅かに見せた隙を付いては正体を暴こうとする人間の超能力者達。

一度火を噴いてしまった火種は数人の魔界人の力では到底抑えられずに、遂にはアロンの、
魔界の王の決定により、事態の収束を図るために人間界を去ることになった。


身重の身であった彼女は突然の人間界との別れに、俺の腕の中で身を震わせていた。
急かされてバタリと閉じられたあかずの扉は、この扉よりも低く、鈍重な響きを去る者達の耳に残した。
振り向いてドアを確認しようにも、その輪郭は忽ち深い霧の中へと吸い込まれる、
やがて俺達の視界から跡形も無く消え去って。
後に残ったのは、皆を城へと促すアロンの声に従って馬車まで進む力ない足音と、
周りに聞こえないように必死に口唇を噛み締める彼女の、堪え切れずに零れた嗚咽だった。


それから数ヶ月、現王の兄として城の一室を与えられた俺達は、
バンパイア村へと身を寄せた彼女の両親と弟と離れ、この部屋で日々を送っている。
妊娠という只でさえ体調に変化を来たしている所に、今まで過ごしてきた人間界に住む一部の者から
悪意の刃を向けられ、切りつけられたショックは、比較的健康体であった彼女にも影響を与え、
最初の頃は床に伏せがちになった。

徐々に体調は持ち直し、次第に大きくなるお腹を見つめては愛おしそうにも撫でる姿を見るようにはなったけれど、
多分、この城に来てから彼女の、いつもの晴れた空のような笑顔を見ることは殆ど無かったと思う。




あの騒ぎは一体何だったのかと思うほど、魔界での暮らしは穏やかだ。
朝は静かに太陽が昇り、夜は静かに月が昇る。

俺の記憶の中に一番に刻まれている、大きく全てを染め抜いてしまうような、それでいて眺める者を
温かく包むような夕陽は、この魔界では見られない。
人間界と違い四季の区別もあまり無いようで、時が進んでも身に纏うものも(王家の服装ではなく
アロンが用意した人間界の物だ)はここに来てから、さほどその厚さも変わらない。
人間界なら吐く息が白くなるこの季節でさえも、身を包む夜気はひんやりと感じる程度のものだ。



半分ほど覆われたベットのドレープを捲ってみたが、既に休んでいるはずの彼女の姿は見当たらなかった。
漸くお袋やフィラが心を砕いたこともあり、体調は落ち着きを取り戻したが、
それでも、頬に伝った涙の跡をそっと指で拭っってやった夜も、
小さく嗚咽を漏らし僅かに震える細い肩を包み込んで眠りについた夜もある。
自分から進んで城の中を歩き回るようなこともなく、ともすれば部屋に閉じ篭もる時間の方が長いことも多かった。

もし、もう少し早く異変に気が付いて何らかの手段を講じていれば。
あのまま、追われるように住み慣れた場所を去ることも避けられたのでは。

後悔したところで何も始らないと分かっていつつも、胸にじんわりと広がる湿り気を感じながら、
ただ抱きしめてやる事しか出来ない己の無力さを呪った。




人の形をした抜け殻をそっとなぞってみてもそこに温もりは無く。
若干の焦りを感じながら大きなベットの外周をぐるりと回れば、
一番奥の窓の前に長い黒髪を見つけ、俺はほっと息を吐きながらその後姿に近付いた。

「どうした?」
「外を、見てたの。 白くなるはずないのにね」
寂しそうに微笑む姿は、以前の彼女には滅多に見られなかったことだ。

白くなるはずがない … 「人間界」のように「雪で」窓の外の景色が白くなるはずがない。
音にしなかった言葉に彼女の隠された気持ちが、鈍感な俺でも痛いほど伝わってくる。

人間界は今、どうなっているのか?
出来ることならば、直ぐにでも帰りたい。

だって、あそこには会いたい人達がいる
そして、何より自分たちの家がある場所だから
あのような形で後にするしかなかったけれど、それでも大好きで大切な場所だから…


「そういや、もうそんな季節だったな」
「今日はクリスマス、だよ」
「…そうか」

人間界のようにクリスマスを祝うような風潮もこの魔界にはない。
この世界に宗教など無いから、…良くも悪くも王の力は絶対であり、唯一無二のものだから。
だからこそ、王家が長き時の間繁栄を保ってこられたのだろう。 


魔界での風習など、ここで時を過ごしたことのない俺には分からない。
窓から見える景色も大きな変化は見られない。

「風邪引くぞ」

人間界での時の流れをポツリと漏らした彼女に掛ける言葉を見つけられず、俺はその細い肩をそっと抱く。
いくら季節が無いといっても、薄い布一枚で窓辺にいた彼女の身体はすっかり冷え切っていて。
…どれ程の間、彼女はここから外を、遠く、人間界を眺めていたのだろう。


彼女が口にした今日という日は、人間界であったならば、
街は輝く色を身に纏い、まるで異国にトリップしたかのように真っ赤なリボンやゴールドで彩られ。
煌めく明かりの下で大切な者同士が、気持を託した物を贈り、喜びを分かち合う、きっと一年で一番賑やかな日。
そして翌日になれば、それまでの騒ぎはあっという間に衣を変えて日本の色を濃くして行く。
神聖な日を、単なる恋人達のイベントとして騒ぐ風潮に眉をしかめる者もいるけれど。
…それでも彼女と俺にとっては慣れ親しんだ世界の光景でもある。

特にイベント好きな彼女のこと、学生時代に俺が過ごしていた、あの寂れたアパートの一室でさえ
ちょっとした飾りつけと細やかな気配りでクリスマスらしい雰囲気を演出していた。
だとしたら、一緒に暮らし始めたばかりのあの家は、この日、どんな風に彼女の色に染められて、
そして俺たちはどんな風に過ごしていただろうか。
少なくとも、これほど切ない想いで窓の外を眺めていることは無かったはずだ。




そしてクリスマスとはたとえ実情がどうであろうと、その本質は神が生まれたことを喜び、祈りを捧げる日。
きっと遠く離れたこの窓辺から、彼女は祈っていたに違いない。


「お前は…何を願ったんだ?」
「………」
分かりきった答えは彼女の口からは紡ぎ出されることはない。


あの自分達が育った世界を見せたい、否、自分達の家で共に過ごしたい
新しい年に生まれてくる我が子と共に

「帰れるさ、必ず」
…いや、帰れるようにしてみせる


儚げに微笑みながら預けられた彼女の身体をその内に抱えるものと一緒に、俺は強いくらいの力で抱きしめた。




白いものは、やはりこの窓から見えることはない。

けれど

太陽のように光り輝く笑顔を浮かべ、生まれてくる子とこの日を楽しんでいる未来の彼女の姿が、
闇の向こうの遥か遠いところに見えるような気がした。

それはきっと近く、確実な未来の光景



その時には同じ様に窓の外を眺めて、そしてこの聖夜を昔話にすればいい。



…白く清らかな雪に包まれた人間界の景色を眺めながら。







next(おまけ)





アンケ回答「人間界を追われた後の俊と蘭世」より

胸のうち、か?と言われるとアレなんですけど。(苦笑)
「真壁家の人々」では明るい光景が見られましたし、基本、二人とも前向きなので
日常ではそんなに落ち込んだ様子を見せないだろうなぁとは思いますが、
ふとした時に人間界を思い出し沈む蘭世ちゃんを慰める(きっと大したことは言わないと思うけれどw)
真壁くんてのもいいかなぁと。
むしろ、自分は逃げる時にさりげなく「お姫様抱っこ」とか「そーっと」とか(小さいコマですけど)の二人を見て、
えらい萌えた思い出があります。








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