3.そういえば、彼らの母親は二人とも制服を着てお仕事していましたね…な話





校庭の奥まった位置にある部室のドアを開け、いつものように真壁をからかうネタを探していた俺は、
その光景を目にし戸口で固まった。
二人が身に着けているのは膝下ほどの長さの丈のストライプのワンピースに
縁にレースが飾られた真っ白なエプロン。
ごくシンプルながら、どこか品を漂わせるそれは着る人を選ばずに誰にでも似合うようなデザインで。

「お帰りなさいませ、お嬢様。 …どう?」
「へ〜、神谷さん似合う〜!」
「曜子さんに似合わない服なんてないのよ、尤も私に似合うのは『お嬢様』の方だけどね。
あんたには、こっちの方がお似合いよ。 …ま、あんたは無理かもね、どんくさいし」
「ひど〜い、そんなことないわよ」
江藤とお揃いの格好に身を包みこちらを見た神谷はエプロンの裾を掴むと
俺の前でくるりと回転してみせた。
「あ、日野君どう? この格好なら会長さんの家にお仕え出来そうじゃなあい?」
真壁が支度をしながら、仕方がないといった風情でその光景を眺めている。


落ち着け、いつもの奴等のじゃれ合いじゃないか。 …なのに、その時の俺は思わず怒鳴っていた。
「お前らには無理だっつーの、なめんな!」

ばたんとドアを勢い良く閉める後ろで俺の態度に引き攣った顔の江藤と神谷の姿、
ちょっと驚いたような真壁の顔が見えたけど。
俺はそのまま部室を後にし…闇雲に走った。




一息に屋上まで階段を駆け上がると、屋上に出た俺はコンクリの床に寝転がる。
どくどくと脈打つ心臓は息を吸い込むごとに少しずつ落ち着いてはくるけれど、
一度沸点に達してしまった頭は、すぐには熱を冷ますことも難しく。
秋も深まりそろそろ頬を撫でる風は冷たく感じるはずなのに、今の俺には丁度良い。
一度、ゴンと頭を床に打ちつけて、それから後ろに手を回し目を閉じる。

…分かってるんだ、あれが文化祭の出し物だって。
確か奴らのクラスは喫茶をするんだって言ってたな。


着ていた衣装がもっとけばけばしい、如何にも誇張しましたって体の物だったなら、
例えば、もの凄く丈が短いスカートだとかフリルでいっぱいのブラウスだとか、
現実には有り得ない様相だったら、ここまで俺の頭に血が上ることも無く、
もしかしたら奴ら(というか江藤)で真壁をからかう格好のネタになっていただろう。

けれど、お淑やかな上品そうな服はいかにもそれっぽくて。
本当にゆりえの家の…おふくろが仕えていた時に来ていた服に似ていたんだ。


おふくろがゆりえの家に仕えていたこと、それは違えようも無い事実だし、
そのことを恥じるつもり毛頭も無い。
おふくろがいつだって自分の仕事に誇りを持って、そして精一杯仕事に励んでいたのを知ってるから。
おふくろはゆりえの日々成長する姿をまるで自分の子供のことのように、誇らしげに話したものだった。
亡くなってしまった今も、尊敬するおふくろだと思ってる。
だからこそ、俺は半ば揶揄するように氾濫するメイドだのコスプレだのの単語に
嘲り笑うような素振りをしながら、本当は人一倍敏感になっている。
おふくろの一生は、そんな簡単で軽い言葉で括られてしまうのか、と。


同時に、それは自分の立場を今一度思い知らされるようで。
確かにおふくろが亡くなって、俺とゆりえの関係はお嬢さんと使用人の息子から外れた。
小さな頃の初恋は、その後ちっぽけなプライドが邪魔をして捻じれたまま
長いこと無駄な回り道をして、江藤という超おせっかいな存在の出現でやっと実を結んだ。

外れた、…けれど、ゆりえは俺にとってはやっぱりいつまでもお嬢様だ。
自分が本当のお嬢様じゃない、そう告白したゆりえを遮ったのは、
俺の中でいつまでも一番のところで何者にも媚びない、翳らない笑顔で笑っていて欲しかったからだ。

形式だけは外れたって言っておいて、それじゃあな、自嘲にも似た乾いた笑いが床に零れる。
結局、一番ゆりえをお嬢様に縛ってるのは…俺なんだ。





ドアがキィと小さな音を立て、静かな足音が聞こえたが、
俺にはそれが誰だか直ぐ分かったので、そっちに視線をやろうともしなかった。
そんな俺を見抜いてるのか、そいつも特に話すこともなく近くの手摺に凭れて遠くを見遣っていた。


きっと、俺の態度を気に病んだ江藤が落ち込んでんだろう。
普段は関係をからかうとムキになるくせに、こういうフォローは一丁前に彼氏じゃないか。

「悪かったって。 …別にあいつらだって茶化してるわけじゃねぇよ」
“ら”、じゃなくて“江藤が”なんだろ、日本語は正しく使えって。
勿論、二人が悪気があってやってんじゃないってことくらい俺にも分かる。
ただ、時々、気持ちが言葉に付いていかないんだ、実際に使用人として働いていたおふくろがいた俺は。
そんなことでガキみたいにムキになる自分にも腹が立つし。

「俺もって言っといてくれ」
「なんだよ、俺は伝言役か?」
「そ、女の使い走り…恋人冥利に尽きるでしょ?」
「あ…ほ」



「俺も分かる気がするよ」
暫くしてポツリと奴が漏らした。

「…俺のおふくろは…看護師だったからな」
「そっか」



特別な制服を身に纏うのは、当然のことながらそれが一番仕事をするに適している服装だから。
それは使用人…今の流行言葉で言うならメイドであっても、看護師…ナースであっても同じこと。
どんな職業も無くてはならないものだし、そこに貴賎がある筈もない。
忌むべきはそれらを卑しい欲望の対象として、具象化している一部の輩であって。
その為に、俺や真壁のように小さな棘を抱えてしまうものもいる。

そう言えば真壁のおふくろさんについて聞いたのは初めてかもしれない。
高校生の身で一人暮らしをしていると言うことはそれなりに理由があるのだろうが、
そんなことは友情を深める点で、あえて問い質すべき必要のあるものではなかった。

何より、真壁にとって江藤の存在が大きいのが丸分かりだ。
それは炊事や洗濯だとか、実質的なものじゃなくて、江藤の存在そのもの。
いつか、ゆりえが言っていた。 …江藤には不思議な力があると。
一見、頼りなく幼げに見えるのに、気付くと自分が温かいものに深く包まれているような気がして、
彼女の前では素直になってどんな自分でも見せてしまえるような気がすると。
だから、そんな江藤が傍にいるコイツは、きっと俺よりも柔軟に物事を受け容れる度量があるんだろう。
…まぁ、表面上も、性格も、俺より「もっと」素直じゃねえけどな。





「でもぉ、お前が一番そういうことやりそうだけどな、江藤相手に。
実はもう実践済みだとか、メイドとかナースとか、もしかしたら裸エプロン…とか?」

台詞と同時に俺は素早く起き上がり、奴の一撃を避ける。
奴の放った拳は俺の鼻先を掠めて空を切った。
間一髪セーフ、…こえーっ、マジだぜコイツ。

「お、その様子じゃ…図星だとか?」
「日野っ!」
「ははっ、冗談だって。 んじゃ、伝言よろしく〜!」



言葉が無くても通じる、そんな友人がいるのは意外と幸せなことなのかもしれない。
それでいてからかいがいのある相手なら、尚更。


多分、いつかはそういった言葉を聞いても、姿を見ても心穏やかでいられる時が来るだろう。
お嬢様であっても、なくてもゆりえが俺の大事な女として在り続けるように。




でも、ま、残りの学生生活、コイツをからかうのだけは止められねぇな、覚悟しろよ、真壁。







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