幻の共同作業!?





「はぁ? CM?」
素っ頓狂な声を上げた俺に向かって幾つもの視線が向けられた。


普段なら重い縄跳びのしなる音、リズム良く刻まれるステップ、ミットに当たるパンチの音が
響き渡るジムなのに、その時は俺の発した音を拾い上げるかのようにその全てが一瞬静まり返って。

「ん。 オファーが来た。 是非チャンピオンに、とな」
ニヤリと笑いを浮かべている様はどう見たって俺の反応を楽しんでいるようにしか見えない。
きっとこの時俺が浮かべた表情も、奴にとっては想定内なモノで。
ということは次に俺がどういう言葉を吐くかも分かってるはずだ。

「「出るわけねぇ〜だろ、んなもん!」」
…男二人でハモもるなよ、気持悪りぃ。(片方は俺の声、だが)

「とお前なら言うと思ったがなぁ、なにしろ強力なプッシュが先方からあってなぁ。
 ほれ、ギャラもいいぞぅ!」
「だから、そ〜いう問題じゃねぇっての!」


ボクシング選手として知名度が上がるのは、当然プロとして光栄なことではある。
が、“名が知られる”、それは時として人間界で暮らす“魔界人”にとって諸刃の剣。
過去に苦い経験を持つ俺は極力マスコミへの露出を避けていた。
…それ以前に性格として向かないというのが本当のところだが。

試合のインタビューすらも言葉少なな俺は、陰では“記者泣かせ”と呼ばれているらしい。
人には向き不向きってもんがあるんだ、仕方ねぇだろ。

「とに…」
「とにかく! 一度打ち合わせをしたいそうだ、明日○時に○×社の会議室で、だそうだ。
 いいか真壁、これはジム側からの『命令』だ。 
 お前がマスコミに出りゃ、このジムだってぐーんと知名度が上がる、今よりな。
 一度のCM出演と100本のマスコミ取材、どちらを選ぶ?」

“無理だ”と答えようとした俺の言葉を妙に迫力のある態度で遮り、おまけにジムの運営に関してという、
中堅どころとして、少しは頭の隅に留めてはおかねばならぬところを突いてくる上に、
どちらと選べぬ選択肢を掲げられては、俺は仏頂面を浮かべるしかなかった。


「いいなぁ〜、真壁さん」
俺の内心を知らずに呟く練習生を代わりにギロリと睨みつけると、そいつは縮み上がっては視界から遠ざかってゆく。
つか、代われるもんなら代わってくれ…。





開けて翌日、俺はこの件を持ち込んだ広報と二人、自分の人生ではこの先、
足を踏み入れることの無さそうなオフィスビルの受付に立っていた。
複数の会社の入る大きなビルの中を、スーツ姿の人の群れが行き交うのを不思議な感覚で眺めながら、
営業スマイル以上の不自然な(と俺には感じられた)笑顔を浮かべた受付嬢が告げた階へと向かう。

辛うじてシャツにジャケットという姿ながらもネクタイをしていない俺は、
先程の人並みの中ではっきり言って浮いていたが、それでも打ち合わせに同席した広告代理店の奴の、
今時の流行(らしい)カジュアルな印象のジャケットとふざけた(としか思えない)額縁のメガネに助けられ。

それでもハナから乗り気でない(むしろ今すぐにでも逃げ出したい)俺は、
同じ席には着いていたものの、クライアント側と、そのメガネ野郎と広報によって
一方的に進められていくのまるで他人事の様に眺めていた。



「や〜、やっぱり格好良いですね、実際にお会いして益々出ていただきたい思いを新たにしましたよ」
「いや、まぁ、コイツは玄人受けするもさることながら、意外と女性ファンも多くて…」
(てかボクシングが好きだというファンだけでいいんだ、俺は)

「そりゃあそうですよ! このビジュアルを活かさない手はありません」
「さすが、○×さん、見る目をお持ちですね、いや〜お目が高い」
(何が、“見る目”だ、俺を選んだ時点で節穴だっつ〜の)

「こちらで考えたコンセプトは『時代に、疲れに打ち勝つ男』というものなんですが」
「ほほぅ〜、いいねぇ、それ」
「うんうん、いかにも効きそうでいいよねぇ」
(何だ、そのだっせ〜の。 …同意するんじゃんねぇよ。
 つか、広報、目で訴えるな、それを口にするほどガキじゃねぇ、分かってる)

「では、リングで闘ってる姿を流しまして、最後にテロップで…」
「イヤイヤ、確かにそれも捨て難いが、決まりのセリフはやはり本人に言ってもらわんとね」
(は? 何かあったか?)

「ああ、そうですねぇ。 やっぱり本人に言わせたいですか…」
「というと、最後はリング上で『貼るはハの字で○○○パス』と決めてもらいますか!」
(ちょ、待てよ…)

「いやいや、最近は『介の字貼り』というのもあってだな。
 肩にハの字に貼った下に肩甲骨に沿って貼ってもらうとより一層効果が。
 が、これが一人で貼るには中々難しくてなぁ…」  
「じゃあ、いっそ奥様にも登場していただくとか!」 
「む、無…」

俺の態度が硬化してゆくのをヒシヒシと感じ取った広報は、何とか口を挟もうとするが、
盛り上がった!?二人の耳には届かずに。
そして視界に入らない位置で握り締めた俺の拳はプルプルと震えていた。

「お、いいですね〜、何でも美人で自慢の奥様だとか?」
「勝利の抱擁をしていただいた後にかいがいしく世話をする妻、これで世の奥様方も、
 それから男性陣にとっても理想の姿に映るに違いありません、間違いない!」
「いかがでしょう、真壁さん?」
「是非、それで行きましょう!」
「………」(もはや無言の広報)

堪忍袋の緒がブチリと切れた音が実際に聞こえたような気がした。

「ふ…」
「「「ふ?」」」
「ふざけんな、この!」
「ひぃっ」「ほごっ」「あちゃ〜」
三者三様に吐き出た意味不明の言葉を俺は無視して。

「さっきから黙って聞いてりゃべらべら勝手に喋りやがって。 …絶ってぇ出ねぇからな!」
ギリと睨みつければ、クライアント側は耐性が無かっただけに、目に見えるほど縮み上がって。
男二人で抱き合うとこくこくと首振り人形のように大きく上下させた。
俺の横で頭を抱えている広報は…この際無視だ。

「では、奥様だけでも…」
「しつこい! てか出すか、絶対」

「あ、真壁さん!」「おい、真壁っ!」
腰を下ろしていたソファから立ち上がり、一つ蹴りを入れると、俺は何とか制止しようとする
三つの声と、呆気に取られている社員達を振り切ってビルを後にした。





「という訳なんで怒りながら帰ると思うんで…」
「今日あの人がジャージじゃなかったのはそういう訳だったんですか。 
 もう、何にも言ってくれないんだもの。 あ、でもそれでご迷惑は掛からないんですか?」
はっはっはっと豪快な笑い声が受話器一杯に鳴り響き、わたしは思わず耳を離す。

「ま、あ〜いう奴だからな。 最初っから予想は付いてたよ。
 別に俺らだってアイツに愛想を振り撒いて欲しいわけじゃないからな。
 アイツはボクシングだけで充分に魅了できる奴だし」
「…でも」
「それに、一番キレたのは『奥さんを出せ』ってとこらしいから。
 ギリギリにならないと本音を見せないダンナだと色々大変だね」
「そ、そうなんですか。 ///  …でもちょっと嬉しい…かもv あ、す、すいませんっ!」
「ははは、いいって。 んじゃ、フォローよろしくな、奥さん」
「はい、わざわざ有難うございました」


…もう、あの人ってば、子供みたいに。
受話器を置いて眉をしかめて見せるけど頬は自然に緩んでしまう。


ピンポンと玄関のチャイムが鳴る。
「あ、パパだ!」
「そうね〜、帰ってきたわね」


リビングの戸を開け玄関に向かう卓の背を眺めながら、わたしはふっと微笑んだ。 




さて、大きな子供のダンナ様は一体どんな顔で入ってくるかしら、ね。





<蛇足>

以後、真壁俊にCMのオファーが掛かることはななったという。
そして、“真壁俊は妻を人目に晒したくないほどの愛妻家である”という噂までご丁寧について回ったという。







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